2026年5月31日礼拝説教「わたしがあなたを連れ戻す」

聖書箇所:創世記46章1~7節

わたしがあなたを連れ戻す

 

 エジプトでファラオに次ぐ地位についていたヨセフは、45章前半において兄たちに自らの身分を明かしました。お話としてのクライマックスは、この場面です。今日の箇所はその後のお話です。後日談のような内容となっています。しかし山場を越えたこの箇所でこそ、神は直接ヤコブに語りかけられます。そして未来への約束が与えられていくことになります。

 神の語りかけのきっかけとなったのは、ベエル・シェバに着いたヤコブが神にいけにえをささげたことでした。このときのヤコブの心情はどのようなものだったでしょうか。息子ヨセフとの再会に向け、旅行を楽しみにするように喜びと希望に満ちた思いだったわけではありません。それは3節で神がヤコブに対して「エジプトに下ることを恐れてはならない」と語りかけられたことから分かります。神がこのように語りかけられたのは、ヤコブがこのとき恐れていたからです。ヨセフがいるとはいえ、エジプトに向かうことは先行きが見えない危険なことでした。しかも彼は一家を挙げて旅立っています(6節)。そこに何も残していないのです。生活の基盤を完全にエジプトに移すことを前提とした、事実上の引っ越しの旅でした。さらにヤコブの恐れは、彼の父イサクや祖父のアブラハムに与えられた神の約束にも関係しています。その約束には、土地が与えられることも含んでいます。その土地の一部を、ヤコブはすでにカナンに得ていました。彼はそれを放棄して、エジプトに旅立ちます。神の約束の実現からは、むしろ遠ざかっているとしか思えません。神の約束は無効になってしまったのではないか。そういった不安も、ヤコブにはありました。彼のこの不安を知るときに、べエル・シェバという場所の意味も見えてきます。この場所は、この地で農業ができる南端に位置します。この町を越えてなお食べ物を得ようとするならば、もはやエジプトに行くしかありません。だからこそこの場所において、彼は神にいけにえをささげて礼拝したのでした。そこで彼は、自らの身を、そして人生を、主にゆだねたのです。

 このようなヤコブの不安な思いに配慮しながら、神はヤコブに語り掛けられます。主なる神は改めて、ヤコブを大いなる国民とすること、そして神ご自身がヤコブを連れ戻してくださると約束してくださいます。これらは彼の祖父アブラハム以降、繰り返されてきた約束です。神が決してこの約束を忘れておられないことを、神御自身が示してくださいました。それだけでなくこの約束を神御自身が果たし、実現してくださることが約束されています。続けて神は、「ヨセフがあなたのまぶたを閉じてくれるであろう」とも言われます。ヤコブがエジプトの地で死ぬことが予告されています。神がここで約束してくださっていることは、彼の子孫において実現することになります。彼自身が直接恵みを受けるのではありません。彼自身は、この恵みを受けることなく死ぬことになります。それでもこの神の約束に背中を押され、ヤコブは決意をもってベエル・シェバを出発したのでした。

 決意を持ってエジプトに出発したのは、彼だけではありませんでした。8節からはヤコブと共にエジプトに下った人々の名前が列挙されています。これは神の約束に身をゆだねてエジプトへと旅立った人々のリストです。このリストは、現代における教会名簿に対応するとわたしは思うのです。受付の名簿に列挙された名前一つ一つに、神の約束に身をゆだねた一つ一つの人生があります。27節には、エジプトに旅立ったのは総勢70名とあります。決して多くはありません。同じようにわたしたちの教会のメンバーもまた、決して数は多くはありません。少数精鋭のエリート集団というわけでもありません。それでも神の約束の実現に身をゆだねた人々がここに集められています。エジプトに旅立ったヤコブと子孫たちは、最初は優遇されましたが、後にひどい目にあうことになります。この厳しい歩みの中で、ヤコブだけでなく多くの人々が、神の約束の実現を見ることなく命を落とします。しかし彼らは、神の約束の実現に希望を置いて歩み続けました。この歩みの先に、主イエスキリストはお生まれになられます。そしてこのお方において、神の約束は実現しました。血筋による国民ではなく、主イエスキリストを信じる大いなる神の民が起こされました。このお方をとおして、神の許へとわたしたちは連れ戻されました。この神の約束の実現が、決意をもってエジプトに旅立つヤコブのこの一歩から始まったのです。

 

 神に従うわたしたちも、神の約束を信じて様々な決断をします。例えば受洗、あるいは信仰告白。これらは後戻りのできない決断です。それは決して、利益だけをもたらすものではありません。キリスト者になったが故の苦労も少なくないのです。エジプトに移り住んだヤコブとその子孫たちも、同じだったと思うのです。彼らもエジプトで苦しみました。それでも彼らは、神の約束の希望の内に歩むことになります。この約束は、全知全能の神が「わたしが実現する」と保証してくださった約束です。ゆえに、この上ない確かな希望です。わたしたちに与えられているのも、この希望です。キリストの言葉をとおして与えてくださった神の約束を、神御自身が必ず実現してくださいます。わたしが何者か、わたしに何ができるかに希望があるのではありません。キリストの言葉に従って歩みだす決断をしたわたしたちがどれほどの苦難の中を歩もうとも、最後には神がわたしたちをご自身の許へと連れ帰ってくださいます。ここに確かな希望があります。わたしたちの周りには、この希望とは逆行するような現状があります。しかし他ならぬ神が、御言葉に記された約束を実現してくださいます。この希望に背中を押されて、新たな一週間への歩みへと進みゆきましょう。