聖書箇所:使徒言行録4章23~37節
聖霊に満たされたその後に
本日はペンテコステ記念礼拝として礼拝の恵みに与っています。ここから教会が形成されていくことになりますので、ペンテコステは教会の誕生日とも言われます。弟子たちに聖霊が降ったペンテコステの出来事は、使徒言行録の2章に記されています。そして今日取り上げますのが4章です。ここでも集って祈っていた人々が皆、聖霊に満たされるという出来事が起こりました。まずは2章と4章という二つの聖霊の降りの間に何があったのかを触れておきましょう。ここには聖霊をいただいたペトロとヨハネの働きが中心に記されています。聖霊に導かれた彼らの働きは、目覚ましいものでした。2:14からはペトロの説教が記されています。この説教を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わりました。3章からは、彼らが足の不自由な人の癒しが記されています。弟子たちに降った聖霊は、人を立ち上がらせる実際的な力を持っていました。それゆえにペトロとヨハネは4章で、祭司長たちや、神殿守衛長、サドカイ派の人々から目をつけられ取り調べを受けることになりました。しかしここでも彼らは、ひるむことなく堂々と主イエスキリストの十字架と復活を証ししたのでした。
こうして彼らが釈放された後のお話が、今日の箇所です。ペトロとヨハネの二人は仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちの言ったことを残らず話しました。これを聞いた人たちは、心を一つにして祈り始めました。祈りの言葉は、全知全能の神を讃える言葉から始まります。この神が、ダビデの口を通し、聖霊によってお告げになった内容が25~26節にかけて記されています。これは詩編2編の引用です。ここには主なる神とそのメシアに逆らう諸国民や地上の王たち、指導者たちの存在が明かされています。事実、ペトロとヨハネは、メシアである主イエスに批判的な指導者たちの取り調べを、今まさに受けてきました。これはすでに聖霊をとおして神がお告げになっていたことであり、神の御計画の一環であると、彼らは理解しています。だからこそ、この脅しの中にあっても、あなたの僕たちが思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてくださいと、彼らは祈ったのでした。そして単に御言葉が空しく語られるだけでなく、実際的な力を持った言葉として示されていくようにと、彼らは祈り願ったのでした。この祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだしました。こうして弟子たちだけなく、その仲間たちにもまた聖霊が降ったのでした。
こうして仲間たちに聖霊が降った後に起きたことが、32~35節にかけて記されています。ここに記されているように行動したバルナバが、実例として挙げられています。そして5章には、このように行動しなかった実例としてアナニアとサフィラが挙げられています。この箇所にも、使徒たちが大いなる力をもって主イエスを証ししたことが記されています(33節)。しかしこのことよりも丁寧に書かれているのが、信じた人々の群れが思いも心も一つにし、互いに持ち物を共有し合い助け合う様子です。この箇所においては、まさにこの信者間の助け合いにこそ、人々に降った聖霊の働きの中心点があるのです。そしてここにこそ、教会の姿が現れています。ペンテコステが教会の誕生日と言われるように、ペンテコステにおいて弟子たちや仲間たちに降った聖霊は、互いに愛し合う教会を形成する働きをなしたのでした。この教会の姿が、心も思いも一つにし、自らの持ち物を売ってまで助け合い支え合う兄弟姉妹の関係に現れています。キリストを救い主と信じ、このお方をお送りくださった神を崇めるということにおいて、聖霊に満たされた人々は心も思いも一つにしていました。加えて、彼らは持ち物を共有しました。私有財産の所有が一切認められなかったわけではありません。貧しさや不足が無関心にも放置されない点に、その強調点があります。ここに教会の交わり、そして愛が現れています。このような教会の交わりのなかで、使徒たちは主イエスの復活を証ししたのです。この一連の働きが、まさにペンテコステに降った聖霊なる神によってなされたのです。
ペンテコステにおける聖霊の降りという出来事においては、使徒たちが各地でキリストを証しした面が中心に語られることが多いように思います。しかしそれは、聖霊なる神の働きの一部です。聖霊なる神は、心を一つにして神を崇め、互いに愛し合う教会を生み出します。この教会の交わりのなかでこそ、キリストの十字架の愛は大胆に世に証しされていくのです。キリストの十字架の愛を証しするとき、わたしたちは様々な困難や反対に直面します。それは決して驚くべきことではありません。このことを、神御自身が聖霊によってお告げになられました。その困難の中でわたしたちは、なお大胆にキリストを証しして歩むべく召されています。その原動力が、聖霊の働きによって集められ、生み出された、わたしたちの集うこの教会なのです。今まさにわたしたちは、この教会において心を一つにして神を崇めています。そしてこの教会において、わたしたちは互いの欠けや貧しさを共にし、支え合いながら歩むのです。それもまた、わたしたちに与えられた聖霊の働きです。わたしたちがここで神を礼拝し、互いに愛し合うこと。ここに、キリストの福音を宣べ伝える聖霊の働きが現れています。聖霊なる神の働きに導かれて、心を一つにして主なる神を礼拝してまいりましょう。そしてキリストがわたしたちを愛してくださったように、聖霊なる神に導かれて、互いに愛し合いあう教会を共に建てあげてまいりましょう。このようにして聖霊に導かれ、建てあげられた教会から、世のすべての罪を背負われた十字架のキリストが証しされ、宣べ伝えられていくのです。