2024年4月7日礼拝説教「わたしについて来なさい」

聖書箇所:マタイによる福音書4章18~22節

わたしについて来なさい

 

 直前の箇所で主イエスは宣教の働きを始められました。その宣教の言葉は「悔い改めよ。天の国は近づいた」でした。そして今日の箇所で主イエスは、四人の漁師をご自身の弟子とされます。のちに彼らは十二弟子の一員となり、使徒として重要な働きをなすことになります。彼らは特別過ぎて、わたしたちからは遠い存在のように感じるかもしれません。しかし今日の箇所であえて彼らの特別さを挙げるならば、主イエスが最初に招いた人々であるという点ぐらいです。彼らは最初に天の国の一員とされた人々です。わたしたちは今、教会にいます。そしてキリストの教会とは天の国の一部ですから、わたしたちもまたその一員です。その点では、今日登場した弟子たちと同じです。主イエスと弟子たちの関係は、主イエスとわたしたちの関係でもあるのです。弟子たちへの招きをとおして、わたしたちが主イエスから与えられている招きを、そしてわたしたちの進むべき道を教えられたいと願っています。

主イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いておられました。これは15節の預言が意識されています。主イエスは聖書にある神の御言葉に従って行動されています。この主イエスが、ペトロと呼ばれるシモンと兄弟アンデレをご自身の弟子になるよう招かれたのでした。のちに使徒となるペトロとアンデレが主イエスの弟子とされた理由。それは主イエスが彼らをご覧になったからでした。彼らはただ漁をしていただけです。つまり彼らが最初に天の国の一員とされたのは、彼らの能力や行動によるものではありません。彼らはどこまでも主イエスの恵みによって選ばれました。この点は、別の兄弟であるゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネも同様です。さらには、わたしたちが天の国の一員としてここにいるのも同様です。

 主イエスが彼らを招いた言葉が19節です。主イエスについていく歩みへの招きです。この招きには、「人間をとる漁師にする」という約束が添えられています。主イエスはヤコブとヨハネにも同じ言葉を語られたはずです。それまで魚を集めていた彼らが、主イエスのもとに人間を集める働きをするようになるのです。この主イエスの招きの言葉は、この御言葉を聞くわたしたちにひとりひとりにも語られています。わたしたちもぜひ、この招きに応えたいのです。ところで主イエスは、頑張って人間をとる漁師になれ、と言われているのではありません。これはどこまでも主イエスの約束です。わたしたちが主イエスの後についていくとき、主がわたしたちをそのような存在としてくださいます。それゆえ大切なことは、ただ主イエスに従い、主イエスのあとについていくことに尽きます。

 さて今日の箇所には、主イエスからの招きをうけた弟子たちの反応も記されています。シモンとアンデレの二人はすぐに網を捨てて従いました。そしてヤコブとヨハネの二人もすぐに、舟と父親を残してイエスに従いました。彼らが主イエスに従う際に捨て、また残したもの。それはそれまでの彼らが、人生に不可欠なものとしてきたものです。それらを捨てて、彼らは主に従いました。この部分が意味するのは、それまで彼らの人生において不可欠だったものが絶対的なものではなくなった、ということです。端的に言えば、手放すことができるものとなった、ということです。主イエスに従ううえで、仕事や家族は大切です。それは、聖書の他の箇所において明確に示されています。しかし、仕事がうまくいかないからダメな人生ではありません。家族と良好な関係が築けないから、人間失格なのではありません。世の価値観では、それらが人の価値を決める絶対的なものなのかもしれません。しかし主イエスの招きに応えてこのお方に従うとき、それらはもはや絶対的なものではなくなるのです。主イエスに従うことにより、必要にに応じてそれらを手放すことができる自由が与えられるのです。

 

 ところで今日の箇所においては「すぐに」という言葉も大切です。今日登場した四人ともが、主イエスに招かれたあと「すぐに」従いました。それが意味するのは、主イエスに従うにあたっての無条件さです。わたしのことを認めてくださったら従う。メリットがあれば、ついていく。そんな条件を考える間もなくすぐに、無条件で彼らは主イエスに従いました。彼らがそうしたのは、主イエスが条件なしに自らを選んでくださったからです。この点がとても大切です。今日の御言葉の中心は、天の国において主イエスがわたしたちとどのような関係を結んでくださったのか、という点にあります。その関係とは、無条件に受け入れあう関係です。主イエスが弟子たちを天の国へと招かれるとき、その人の行動や能力を条件とはしていません。ただ、お前をわたしの弟子とする。お前がどんな欠けある弱い者であっても、変わらずお前を愛し続けることにする。それが主イエスの弟子たちに対するまなざしであり選びです。この選びを完遂するために、主イエスは十字架にまでついてくださいました。その恵みに対して、弟子たちもまた条件をつけずに従いました。神に従っていれば、神が自分の願う結果を与えてくれないと悩むことは誰しもあるでしょう。それでもなお主が自分を愛してくださっていることを信じ続けるのです。それゆえに神に従うことをやめないのです。このような無条件で愛し従う関係を、主イエスは天の国に入るすべての人々との間に結んでくださっています。この関係の中にあるとき、わたしたちの価値観は変わります。お金が稼げなくとも、家族と良好な関係を築けなかったとしても、キリストの恵みがなくなることはないからです。主イエスとのこの無条件の関係の中で、ここに集められたわたしたちもまた互いに受け入れあいながら歩んでまいりましょう。わたしたちがこのような主の愛の中を歩むとき、主はわたしたちもまた、人間をとる漁師にしてくだいます。