2022年1月16日礼拝説教「陰謀とたくらみの中で」

 

聖書箇所:使徒言行録23章12~22節

陰謀とたくらみの中で

 

 聖書には、思いがけない出来事から神のご計画が実現していく様子が記されています。今日の箇所では、パウロ暗殺の陰謀のたくらみが図られます。それを知らされた千人隊長の対処が、パウロがローマで証しをするとの神のご計画(11節)の実現へとつながることになります。

 この陰謀の首謀者はユダヤ人たちでした(12節)。四十人以上もの人々がそれに加わりました。ただ最高法院の中にすらパウロに同調する人々がいたのですから(9節)、ユダヤ人全体から見れば彼らは少数派でありました。ただこの人々は、目的達成のために殺人をも辞さない過激な考えを持っていました。彼らもユダヤ人ですから、「殺してはならない」との戒めは有効であるはずです。しかしそれよりも神に逆らう者を殺す方が神に従うことになると彼らは信じていました。そのために、民数記30:2に従って飲み食いを断つ誓いまで立てました。危険を犯してまで神の敵を滅ぼそうとする自分たちに、神は味方をしてくださるはずだ。神の正義は我らにあり。彼らの心には、このような思いに溢れていたのです。ところでこの計画は陰謀でした。つまり、他の人々には知られないように練られた秘密の計画でした。パウロを殺すことは、十戒に違反するだけでなく、ローマ法においても死刑に処せられるべき重い罪だからです。本当のことを言えば、計画を実行に移す前に自分たちが捕まってしまいます。彼らは自らの目的を達成するために、秘密裏に陰謀を図り、嘘をつき、闇の方へと深く潜ろうとします。周囲の人々が自分たちのやり方や自らの正義を理解してくれないことを、彼ら自身が分かっていたからです。

 結果的にこの陰謀は、実行される前に明らかとなりました。パウロの甥っ子がこの陰謀を耳にしたためです。陰謀をめぐらしていたユダヤ人たちには、どうも脇が甘いところがありました。それは彼らが、自分たちこそ誰よりも神に従っていると思い、神がこの陰謀を実現してくださると信じて疑わなかったからでしょう。しかしパウロの甥っ子がこの陰謀を聞くことになりました。彼は兵営に行き、パウロに知らせました。パウロは百人隊長に対し、この若者を千人隊長のところにつれていくよう言いました。百人隊長はその言葉を聞き、若者を千人隊長のところへ連れて行きました。千人隊長はこの若者の手を取って人のいない所へ行き、そこで話を聞いたのでした。若者はユダヤ人たちの陰謀を話します(20節)千人隊長は、神殿での騒動の発端となったパウロのことを詳しく調べる責任がありました。それに協力する口実で、明日、パウロを最高法院に連れてきてほしいと願い出るのが陰謀の具体的な手順でした。21節を見ますと、今もうその手はずを整えて、千人隊長の承諾を待っている状況のようです。だから、彼らの言いなりにならないでください。これがこの若者の伝えたことでした。千人隊長としても、市民権を持つパウロを守る必要があります。それがローマ軍に与えられた使命だからです。彼は次の23節から行動を起こし、総督のところにパウロを護送する手はずを整えることになります。若者に対しては、このことを誰にも言わないようにと命じて解放しました。それはパウロが途中で殺されることなく、法にのっとって対応するための配慮でした。このような対応によって、最終的にパウロはローマへ送られることになるのです。

 今日の物語で陰謀を図った人々は、神に従う熱心を強く持った人々でした。ただし彼らは秩序を無視し、法を犯してまでそれを成し遂げようとしました。 このように、周囲の無理解や批判にさらされながらも信仰を貫く人々の姿は、信仰者としては格好よく映ると思うのです。世の中の大半が悪に染まるなかで、自分だけが神の側に立ち正義を貫いている。そのような自己理解のなかで、彼らは秩序と法を無視し、孤立して自らの信仰を貫こうとしました。その結果、彼らは神のご計画を邪魔する側に回ってしまったのです。

 

 わたしたちもまた、同じ状況に陥る危険があります。周囲を批判し、教会を批判し、人よりも熱心に神に仕えているつもり。でも実は自分こそが、神に逆らう側に回ってしまっていた。恐ろしいことではないでしょうか。しかし往々にして、そのような状況を自分で気づくことはできないのです。そうならないためにあるのが法であり、それに基づいた秩序なのです。聖書の律法もそうですし、わたしたちの教会が教会規程に従って治められているのもその一環です。もちろん自らが神に従おうとする思いは大切にすべきです。しかしそれが本当に神の御心に適っているかを、聖書をとおして、教会に与えられたあらゆる法や秩序をとおして、振り返ることのできる者でありたいのです。誰よりも神御自身が、法と秩序のなかで世界を治められるお方なのです。一コリント14:33によれば、神の平和は秩序の中で実現されるのです。思えばキリストを十字架につけた人々もまた、今日の陰謀を図ったユダヤ人たちのように、自分たちこそ神に従っていると信じて疑わない人々でした。そして裁判において主イエスに罪はないと示されながらも、それを無視して主イエスを十字架につけたのです。そういった無法や無秩序を打ち破って、キリストは復活されました。こうして神の平和は成し遂げられたのです。またユダヤ人たちとは違い千人隊長は、信仰者ではありませんでしたが法と秩序を大切にする人でした。そんな彼を通して、神はご計画を実現へと向かわせられました。神は、秩序のなかで御自身の計画を実行されます。だからこそわたしたちも、自分だけの信仰、自分だけの正義に閉じこもることなく、公の秩序のなかで自らの信仰を確かめながら信仰生活を歩む者でありましょう。教会の秩序の営みのなかで、共に神に従ってまいろうではありませんか。そこにこそ、神の御計画は実現するのです。