2021年6月20日礼拝説教「正確に知ることで得る力」

 

聖書箇所:使徒言行録18章24~28節

正確に知ることで得る力

 

 本日の箇所は、前回の箇所でパウロがエフェソに立ち寄った後、もう一度エフェソに向かう間に起こった出来事です。この期間に、アポロという人がエフェソにやってきました。彼は学問の中心地のひとつであったアレクサンドリアの出身でした。彼が雄弁家であったことも、この町で教育を受けたことが大きく影響しているのは間違いありません。また彼は、主の道を受け入れているキリスト者でありました。雄弁家としてイエスのことについて熱心に語り、正確に教えていました(25節)。その教えを広めるために、単独で各地を巡回していた宣教師でした。しかし彼はヨハネの洗礼しか知りませんでした。使徒言行録10章で、水による洗礼と聖霊による洗礼についてすでに話題に挙がっています。ヨハネの洗礼は水による洗礼ですから、アポロが知らなかったのは聖霊による洗礼の方であったと考えられます。すなわち、聖霊の働きに関する知識が欠けていたところがあったのでしょう。

 そんなアポロがエフェソの町にやって来まして、会堂で大胆に教え始めました。これを聞いたプリスキラとアキラは、彼を招いてもっと正確に神の道を説明しました。彼らは自らの家を開放して教会としていました(一コリ16:19)。ですからこの夫婦がアポロを招いたのは、自分たちの家を兼ねた教会です。そこでアポロに対してより正確に、神の道を説明します。聖霊についても、アポロはここでちゃんと理解することになるわけです。神の道についてより正確に知ったアポロは、アカイア州に渡ることを望みました。具体的な行先は、コリントの町です(19:1)。そこでエフェソにいた兄弟たちはアポロを励まし、かの地で弟子たちに彼を歓迎してくれるようにと手紙を書きました。もともとの文は、アポロを歓迎してくれるようにかの地の弟子たちを励ました、とも訳すことができます。実際に、この意味で訳している英訳聖書もあります(KJV等)。実際にどちらかが正しいかは分かりませんが、両面あると考えればよいでしょう。エフェソの兄弟たちは、アポロを励ましつつ、コリントの弟子たちにも配慮をしてくれるよう励ましの手紙を送ったのです。エフェソ教会が、アポロの働きを熱心に支えていることが分かります。この後押しを受けたアポロはコリントへと渡り、すでに恵みによって信じていた人々を大いに助けます。そして聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せました。コリント教会の中にアポロ派ができるほど、彼はこの教会で大きな働きをしました(一コリ1:12)。パウロもまた、自分の働きとアポロの働きを同列に置いています(一コリ3:6)。

 今日の箇所でプリスキラとアキラからより正確な教えを受けたアポロには、どのような変化があったのでしょうか。28節にあるように、より正確な教えを受けることによって、反対者への論争をより強い口調で行うことができるようになったのでしょうか。多少はそのようなこともあったかもしれません。けれども彼はもともと雄弁家ですから、強い語調でユダヤ人たちを説き伏せることは、今日の個所での彼の変化の中心ではないように思うのです。今日の個所でのアポロの変化の中心は、彼が教会の交わりのなかで働くようになった点にあります。彼はもともと単独で行動する独立系の宣教師でした。そんな彼が、プリスキラとアキラからもっと正確に神の道を説明された後は、教会との関わりのなかで働くようになるのです。その証拠に、彼が28節で激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せたのは、コリント教会の信者である人々を助ける行為として記されています。また、彼がエフェソの教会からのサポートを受けることができたという点にも、この変化を見ることができます。仮にアポロがプリスキラとアキラから教えを受けず、独立系の宣教師を続けていたとしたらどうだったのでしょうか。エフェソ教会が彼をこれほどまでに手厚く支援することは難しかっただろうと思うのです。ヨハネの洗礼しか知らないという面で、理解に違いがあるからです。エフェソ教会がアポロを教会の交わりに受け入れ、手厚く彼を支援できたのは、プリスキラとアキラからもっと正確に主の道を教えられ、またその理解を受け入れたからです。それによってアポロは、エフェソ教会と同じ信仰を持つことができました。だからこそ、エフェソ教会としても安心してアポロをサポートできたわけです。

 

 またすでに述べた通り、ここでアポロが得たのは聖霊についての理解でした。使徒信条において、聖霊の働きとして最初に挙げられていることは「聖なる公同の教会」と「聖徒の交わり」です。アポロがこの聖霊の働きを理解したことも、教会の交わりの中で働くようになったアポロに起こった変化に関係しているでしょう。自分が正しく信じて語ればいいという理解から、教会の交わりのなかで自らの働きが活かされるという理解への変化です。その結果、彼の働きは主の御業として大いに用いられることになったのです。わたしたちもまた、教会の交わりに結ばれています。わたしたちを教会に結び付ける力は、同じ信仰を持ち、同じ主イエスを信じているという事実です。見落とされがちなのは「同じ」という部分です。主イエスはただお一人です。しかし信じるわたしたちがあいまいな知識で主イエスを理解したままならば、各々の理解する主イエスの姿が異なってしまいます。これでは、教会として一致してキリストに従うことはできません。だからこそ、より正確に聖書を知り、主イエスに学ぶ者でありたいのです。主を正確に知るほど、教会の交わりが強められていくのです。そしてこのような教会の交わりのなかにあってこそ、わたしたちは主の働きのために用いられるのです。そのことを、今日のアポロの変化をとおして教えられるのです。