2021年2月28日礼拝説教「あなたと子孫の神となる」

 

聖書箇所:創世記17章1~16節

あなたと子孫の神となる

 

 今日の箇所で、アブラムとサライに神の契約が与えられます。彼らに神の契約が与えられるのは、今日の箇所が初めてではありません。15章ですでに神は彼と契約を結んでおられます。またこの契約を広く神の約束と捉えるならば、それは12章ですでに与えられています。三回にわたって神の約束がアブラハムに与えられました。これらは一つの同じ約束です。しかし回を追うごとに、その約束がより具体的に明らかにされていくのです。まずこの流れを振り返りましょう。

 12章で神は、アブラムを大いなる国民とし彼の子孫にカナンの地を与えると約束されました。しかし子どもが与えられないアブラムは僕に家を継がせることにしました(15:2)。養子によって神の約束が実現すると理解したのです。そんな彼に対して15章で神は、アブラムから生まれる者によってこの約束が実現し、その数は空の星のように多くなると約束されます。それでもアブラム夫婦の間には子供が与えられません。そこでサライの奴隷であるハガルによって子供を得ようとしました。そして今日の17章では、この約束がアブラムの正妻であるサライから生まれる子供によって実現すると約束されます。その意味で、今日の箇所でアブラムだけでなくサライの名前も変えられたことに大変重要な意味があります。しかも6節ではその子孫から王たちが起こされることが、7~8節では神御自身がアブラハムと子孫たちの神となってくださることが示されていきます。

 このように、時を追うごとに神の約束はより具体的に明かされていきました。しかし一方で、時間の経過とともに約束の実現は現実離れしていきました。17章の時点でアブラハムはすでに99歳、サラは90歳です。もはや子供の誕生を望むことは不可能です。神はあえてこのような厳しい状況へと二人を導いたとも言えます。それはこの神の約束を実現されるのが、人の力や工夫ではなく神御自身であるということをお示しになるためです。その意味で、1節の冒頭で神が「わたしは全能の神である」と宣言されたことに重要な意味があるのです。一方で、この約束の実現のために神はアブラハムに行動をお求めになります(1節)。それはアブラハムが恵みを受けるにふさわしい者として生きるためです。神がお求めになった具体的な行動が、割礼でした(9節以下)。割礼を受けることが、神の約束の実現に望みを置き、天地を造られた真の神がわたしの神でいてくださることに望みを置いているという、信仰のしるしです。この信仰のしるしが、新約の時代には洗礼に代わりました。割礼にしても、洗礼にしても、その行為自身になにか特別な力があるわけではありません。そうではなくそれを受けることによって示される信仰によって、その人は神の約束の中に入れられて救われるのです。

 神は割礼を受けるべき対象も明確にお示しになられました。家にいる男子全員です。神の契約は、アブラハムだけでなく後に続く子孫たちも対象だからです。これが現代における幼児洗礼の根拠になっています。旧約時代から現代まで一貫して、神の救いは後に続く子孫たちにも広がっていくものだからです。しかもその子孫とは、血のつながった直系の子供たちだけではありません。家にいる奴隷も、外国人から買い取った者も、すべてが対象です。神はこのような人々をも選ばれて、「わたしは彼らの神となる」と約束してくださるのです。旧約の時代は割礼によって神の民が他の民から区別され、順々に神の民が増えていくことになります。奴隷たちも割礼をうけたわけですから、神の民とはアブラハムと血のつながる民族に限定されていたわけではありません。なによりも主なる神が選んでくださって、「あなたたちはわたしの民だ」と約束してくださる民こそ、神の民なのです。

 ところで神の約束として、王たちの誕生も約束されています。これは直接にはダビデ王と彼に続く王たちに結びついています。しかしこの王国はバビロンに滅ぼされ、王になる者は途絶えてしまいます。その後時至って、真の王として主イエス・キリストが、アブラハムの子孫からお生まれになりました(マタイ1章)。彼の誕生によって、神の約束は本当の意味で実現したのです。けれども、完全に実現し終わったわけではありません。なぜなら約束されている王は、王となる者「たち」という複数形だからです。ですから真の王としてキリストが誕生されたならば、彼に続く王たちが誕生するはずです。それは誰でしょうか。二テモテ2:11~12によれば、それはキリストに従い彼と共に耐え忍ぶ者です。キリストは、十字架を耐え忍ぶことによって、わたしたちを救いに導く王の務めを果たされました。それによって救われたわたしたちがキリストと共に耐え忍ぶならば、神はキリストと共にわたしたちをも王としてくださるのです。このようにして起こされた王たちに従う者として、救われたこのわたしの後に続く神の民を、神は起こし続けてくださるのです。

 

 このコロナ禍のなかでも、神は求道者の方々をわたしたちの教会に与え続けてくださっています。洗礼を受けて神の約束の内に入れられたわたしたちをとおして、神の民を起こし続けてくださっているのです。求道者である方々が教会に来いてくださっていることが、神の約束が確かであることの何よりの証拠なのです。これこそ神がアブラハムとサラに約束してくださった神の契約の実現であり、主イエスキリストによって実現した神の約束です。また「わたしが彼らの神となる」と言ってくださる神の約束が実現し続けている証拠です。「わたしが彼らの神となる」。神の与えてくださったこの約束に望みを置く者の神として、真の神はわたしたちと共にいてくださるのです。この約束の中を、共に歩み続けようではありませんか。