2020年9月27日秋の特別集会説教「愛から考えるStay Home」

 

聖書箇所:コリントの信徒への手紙一12章31節b~13章7節

愛から考えるStay Home

 

 新型コロナウイルス感染拡大に伴いまして、盛んにステイホームが呼びかけられました。そのため家族と過ごす時間が増えた方が多いのではないかと思います。そこで今回は、家族について聖書から考えてまいりましょう。家族関係のなかでも一番核となる関係だと聖書が教えているのは、夫婦関係です。そこで今日は夫婦関係を中心に取り上げまして、そこから家族全体のことを考えていきます。そのために選びました御言葉が、今日の箇所です。4節以降については、教会になじみのない方でもどこかで耳にしたことがあるかもしれません。結婚式でよく読まれる箇所なのです。実際には結婚式で読まれても、聞き流されて終わってしまっているかもしれません。しかし聞き流すことができるということは、未信者の方も含め誰しも納得できる内容だということでもあるでしょう。だからこそ、キリスト者であるか否かに関係なく、この言葉を聞いて結婚式を進めることができるわけです。ではもし、夫婦関係や家族関係にちゃんとこの愛が実現していたらどうでしょうか。ステイホームは、夢のような時間であるはずです。しかし実際にはどうでしょうか。少し前、新聞を読んでいましたらこんな記事がありました。

「予想に反して、ステイホームが叫ばれていた期間の離婚件数は増加しなかった。しかし状況が少し落ち着いたら、増加してくると予想される。」

なぜか離婚の増加が前提です。しかしこれが現実なんだろうと思うのです。離婚までは行かなくても、ステイホームでストレスが増えたという調査結果を至るところで耳にします。夫婦関係は、なかなか理想通りに行きません。家族関係でも同じです。子供でも中学生ぐらいになれば、家族が決して理想的なつながりではないことは気づくのです。むしろ家族だからこそ、わずらわしい、うっとうしいのです。ならば、ここに書かれている愛とは一体何なのでしょうか。それが今日、考えたいことなのです。

 今日の御言葉は、コリントという町あった教会に対して書かれた手紙です。この教会では、人々が派閥を作って喧嘩をしていました。決してこの教会の人々が不真面目だったわけではありません。みんな真剣に、神様に認められるうような生き方をしようと頑張っていました。しかしそれが、自分こそが優れた生き方をしているのだと主張し、競い合うことにつながってしまったのです。そんな人々に対して、わたしが最高の道を教えてあげましょう、と始まるのが今日の聖書の御言葉です。結論から言ってしまえば、この最高の道こそ「愛」なんだというのがこの手紙の主張です。このことが、前半部分では「~しようとも愛がなければ無意味だ」という文の繰り返しによって説明されています。具体的には、異言・預言・信仰・全財産を人のために使う・誰かのために死ぬ、という行動が挙げられています。これらは、周りの人々が認めてくれるような行動ですとか能力です。しかしいくら人々から認められるような生き方をしていても、自分を誇るためにそれをするならば無意味なのです。優れた道を競い合っていたコリント教会の人々の心の中にあったのは、自分が他の人よりも認められたいという承認欲求だったのです。だから自分を認めてくれる人どうしで派閥を作り、自分たちを認めない他の派閥をけなしていたのです。愛なんてあったものではありません。

 「鬼滅の刃」という人気漫画に登場する獪岳(かいがく)という敵キャラクターが「自分を認める者は善、そうでない者は悪」という発言をしています。コリント教会の喧嘩の原因は、これなのです。自分勝手に聞こえる言葉です。しかし案外現在でも、この考え方で世の中が回っているのではないでしょうか。実はだれもがこの考えを持っているのです。この思いは、特に自分に近い人に対して強くなります。自分に近い家族や結婚相手に、誰よりも自分を認めてほしい。自分の思い通りに振る舞ってほしい。でも実際にはそうはなりません。むしろ家族は近いからこそ、相手の不都合なところも含めてすべてが見えるのです。だから、家族は難しいのです。これを解決するのが、愛の生き方なのです。ここで示されている愛とは、相手が自分にとって都合が良かろうが悪かろうが、自分を与えていく生き方です。しかしわたしたちが純粋にこの愛の生き方をするのは、大変難しいと言わざるを得ません。ただただ自分が損をする生き方だからです。そんな生き方で、わたしたちは満足することはできないのです。それが人間というものなのです。愛という最高の道がここに示されていますし、この愛で家族が愛し合えればそこは素晴らしい場となるでしょう。しかし同時に、わたしたちがその道を歩めない現実もあるのです。決して理想で済ますことはできません。

 

 しかしわたしたちが愛に生きる道が、一つだけあるのです。それはまず誰かから愛をもらうことです。もし誰かが自分のために100兆円損をしてくれたならば、100万円ぐらい誰かのために使ってあげてもいいかなと思いませんか。ここに、わたしたちが愛に生きるためのヒントがあるのです。実は4節以降に記される愛とは、人々が一般的にイメージする愛ではなく、十字架に示されたイエス・キリストの愛を指しています。神を認めず生きているわたしたちのために、キリストは十字架上で自らを与えてくださいました。これが、十字架に示された神の愛です。この神の愛が、わたしたちに注がれている。それが聖書に記されたわたしたちへのメッセージです。このことを知るときにわたしたちは、自分を認めてくれない相手であっても自分を与えることができるようになるのです。これが、キリストをとおしてわたしたちに与えられた最高の道、愛の道なのです。この道にこそ、このステイホームの時代を生き抜く鍵があるのです。このお話を聞いてくださっている皆さんが、このキリストの愛の道を歩み始めてくださることを心から願っています。