2019年5月26日礼拝説教 「主の名を呼ぶとき」

 

聖書箇所:創世記4章17~26節

主の名を呼ぶとき

 

 4章においてカインがアベルを殺すという人類初の殺人が引き起こされました。しかしなお神は、殺人者であるカインの命を守られました。それに続いてカインの系図と、セトの系図が記されています。系図は、先祖が生きてきたその時その歩みと深く結びついています。もし自分の先祖に偉業を成し遂げた人がいたら、その人の経験があたかも自らの経験の一部であるかのように思うのではないでしょうか。イスラエルの人々は、この意識が現代人よりもはるかに強かったのです。それゆえに、系図が重んじられました。これは、誰かが誰かを生んだという単なる事実の羅列ではありません。人の歩みそのものを示すものです。ここに記されているカインの系図とセトの系図は、人が歩む二つの道を示しているのです。

 まずカインの系図を見ましょう。アベルを殺した人殺しの系図です。殺人を犯した罪意識にさいなまれ、苦しみながら生きたのでしょうか。そうではありません。むしろ世代を経てレメクに至り、人殺しの罪がエスカレートしている姿が示されています。カインの系図をたどりますと、世代を経るごとに文明が整えられていく様子を見ることができます。エノクの時代に町が建てられます。そしてレメクの子どもたちは、家畜を飼う人々、音楽を奏でる人々、青銅や鉄で様々な道具を作る人々の先祖となりました。この文明の祖といえる人々の父がレメクです。当時、父は家の中で絶対的な権力を握っていました。ですからレメクとは、文明の支配者ということができます。レメクには二人の妻がいました。聖書に初めて登場する一夫多妻の事例です。レメクの妻たちは相当な美人であったと考えられる、と解説する注解書がありました。美人妻を二人もめとった文明の支配者がレメクです。道徳的には大きな問題がありますが、人々から成功者と言われるような人でもあります。そんなレメクが妻たちに言葉を語ります。そこには子供たちもいたでしょう。彼が家族に語った言葉が23節と24節です。6行にわたる言葉が、2行ずつペアになっています。これは、歌の形式です。このレメクの言葉は、人々に歌い継がれてきたものと考えられます。いつの時代にも文明の支配者に当てはまることとして、時代を超えて歌い継がれてきた言葉です。その内容は、大変恐ろしいものでありました。

 レメクは自分を傷つける者への報復を語ります。自分が傷つけられたら、わたしはその者を殺す、と。それが成人男性であろうが、力のない若者であろうが関係ありません。それが立派な傷であろうが、単なる打ち傷に過ぎないものであろうがが関係ありません。自分を傷つけるような者はみんな殺してやるとレメクは語ります。殺すとは文法的には完了形ですので、正確には「殺した」です。レメクは、自分がこうやって報復を繰り返してのし上がってきたのだという武勇伝を語っているのです。彼は文明の支配者です。息子たちの生み出した家畜や、人々の心を動かす音楽や、鉄や青銅から造られた道具などの文明の利器が、支配者レメクの報復のために用いられているのです。人を殺す罪人の歩みの行き着く先が、この家族なのです。レメクが自信満々に武勇伝を語るのには根拠があります。それが24節です。カインのための復讐が七倍。これは15節で神が言われた神の御言葉です。この御言葉は、神がカインの命を守るために語られた言葉です。しかしレメクはそれを、神の意図とは逆に、自分が人を殺したことを正当化するために用いたのです。このように御言葉を都合よく用いるのであれば、たとえ聖書の言葉を語ったとしても、それはもはや人間の欲望を満たすための自分勝手な宗教です。それは世界を造られた神の秩序の拒否であり、混沌であり無秩序です。こうして世界は、人が人に報復を繰り返して殺し合う滅びへと向かうのです。

 そのようななかで、セトの系図を起こされました。エノシュの時代からは、主の御名を呼び始めます。主の御名を呼ぶとは、神への礼拝を指す言葉です。神を礼拝する系図、すなわち神を神とする系図。これがセトの系図です。ここから、選びの民イスラエルが誕生し、救い主主イエスキリストが誕生します。この系図に連なる人々によって、人と人とが報復しあい殺しあう滅びの世界から救いが起こるのです。冒頭に申しましたが、系図は人の生き方そのものです。カインの系図のような殺し合う生き方しかできなかった無秩序と混沌の世界のなかにあって、神を礼拝する生き方を神は生み出されたのです。神はこの系図をとおして、無秩序と混沌の世界のなかに秩序を回復されたのです。その中心が、主イエスキリストです。レメクは七十七倍の報復を自らの当然の権利として主張しました。それが当然である世界の中で主イエスは、七の七十倍までも赦しあう秩序を打ち立てられました(マタイ18:21,22)。これがセトの系図に連なる神の民の生き方です。これが、神を神とする者の生き方です。この道を生きる人々によって、殺し合って滅びに向かうしかない無秩序と混沌の世界は、命が守られる世界、神が創造されたときのような秩序ある世界へと回復されていくのです。

 

 今この創世記に聞いているわたしたちは、すでにセトの系図に連なる者とされています。しかし一歩この教会から出れば、そこにはカインの系図の生き方が優勢の世界です。文明の利器を駆使し、他の人を蹴落としてのし上がった人がもてはやされる世界、滅びに向かう世界です。そのなかにあってわたしたちは、七の七十倍まで赦す生き方へと召されています。わたしたちがこの生き方に向けて小さな一歩歩みだすことが、この世界を救うことになるのです。わたしたちは今、主の御名を呼び神を礼拝しています。この場所から、わたしたちを傷つける者に報復ではなく赦しと救いを求める生き方へと、新たな一歩を踏みだしてまいろうではありませんか。