2018年6月10日礼拝説教 「彼らを守ってください」

2018年6月10日

聖書=ヨハネ福音書17章9-19節

彼らを守ってください

 

 信仰者として生き抜くことは生やさしいことではありません。試練や苦しみもあります。家族の反対もあります。なによりも自分自身の変化もあります。仕事などの問題もあります。そのようなすべてをかいくぐってキリスト者として人生をまっとうするのは大事業です。変わりやすい私たちが信仰を貫くのは人生の大事業なのだと、理解してください。

 主イエスは最後の晩餐の後、長い告別説教をし、その後に大祭司の祈りという長い祈りをしました。この祈りの中で、弟子たちのために祈っておられます。大きく3つのことが祈られています。1つは「彼らを守ってください」、この地上に残していく弟子たちが守られることを祈っています。2つは「彼らが1つとなるように」で、弟子たちが1つになって信仰を守ってほしいことです。3つは「わたしのいるところに共におらせてください」という願いで、弟子たちの信仰的完成のための祈りです。この3つの祈りの基本は「弟子たちが信仰者として守り抜かれること」です。

  主イエスは「彼らのためにお願いします。世のためではなく、わたしに与えてくださった人々のためにお願いします」と祈ります。「ために」と訳された「ペリ」というギリシャ語の前置詞は「…の代わりに」とも訳されます。ある人に代わって、その人のために祈る。主イエスは私たちの大祭司として、私たちに代わって、私たちのために祈ってくださるのです。

 この「彼ら」は今、主イエスの手元にいる弟子たちだけのことではありません。「彼ら」の中には私たちも含まれているのです。代々のすべての弟子たちが「彼ら」なのです。すべての弟子たち、代々の弟子たちのために、大祭司として祈っているのです。主イエスは世を去るに際して、弟子たちのために祈られました。彼らの健康のためでも、この世的に富むことでもありません。信仰者として守られることを祈っているのです。

 なぜ、弟子たちが信仰者として守られることを祈るのか。第1は、彼らの救いが全うされるためです。信仰者として生き抜くことは大事業です。信仰生活は戦いなのです。「世は彼らを憎みました」、「悪い者から守ってください」と語られています。私たちは世の多くの誘惑と戦わねばなりません。自分自身の中にある罪とも戦わねばなりません。信仰者として生きることは霊的な戦いです。主日の礼拝に集まるためには、祈りの戦いが、信仰の戦いが必要なのです。戦いをして、ここに集まってくるのです。この信仰の戦いが守られるようにと、主は祈っておられるのです。

 次に、彼らが信仰者として守られる理由は、福音を宣べ伝える責任を果たさなければならないからです。主イエスは「わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました」と言われます。弟子たちは福音を伝えるために派遣されている。主の証人としての務めを果たすためです。弟子たちは一握りの小さな群れです。無学なただの人たちです。この人たちによって福音が語られるのです。彼らが地の果てまで主の証人になるのです。この一握りの弟子たちに神の国の希望があるのです。

 彼らは地の塩、世の光として信仰者として生き続けなければなりません。塩味が失われたり、光が消えてしまわないように、主イエスはこの地に残される弟子たちのために祈り続けてくださるのです。主イエスの祈りは、この時だけではありません。天に上げられて、神の右にあって今も、大祭司として祈り続けていてくださいます。教会にとって一番大切なもの、教会にとって最も必要なものは大祭司であるキリストのとりなしの祈りです。このキリストの祈りなしでは、教会と信徒は立ちゆきません。

 改革派教会の信仰の教理に「聖徒の永遠保持」という教理があります。「聖徒の堅忍」と言われてきました。神が一度救いに選ばれた者は、人生の途上、信仰が見失われた状態になることがあっても、神が必ず信仰を回復し救いを堅く守り、保ち続けてくださるという信仰です。神の主権性を根拠として、神が救いに選び定めてくださった者に対して、神がその救いを全うしてくださるという恵みの選びの信仰から導き出された確信です。

 同時に、私は「聖徒の永遠保持」の信仰の確信は、恵みの選びともに、大祭司としての主イエスの祈りがあるからである、と信じています。「あなたの信仰が無くならないように、あなたのために祈った」(ルカ福音書22:32)と言われた主イエスの祈りこそ、私たちの救いが確実に保持され、救いがまっとうされる大きな根拠なのだと申し上げたい。

 「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです」。「彼らを世から取り去ることではなく」と言われます。弟子たちの使命は、この地上において福音を伝えて、人々を救い、教会を建て、神の国を来たらせることです。このために、神は弟子たちをキリストのものとしてくださったのです。弟子たちは、この地上でキリストの体としての教会を建てる使命があります。そのため、この地上から取り去るのではなく、この地上でその信仰が守られることです。

 「悪い者から守ってくださることです」。「悪い者」と訳された言葉は「ごちゃごちゃにし、よこしまな、紛争をまき散らす者」と言う意味の言葉です。信仰の理解をごちゃごちゃにして、信仰の確信を奪い、不信仰の中に叩き込んでしまうような存在です。サタンの働きです。このような「悪い者」の働きは、教会の外からも、教会の中からも起こります。教会と信仰者は、このサタンの働きに抵抗して、信仰の戦いの中で歩むのです。

 

 信仰者の人生は決してのどかなものではなく、いろいろな危険がある。誘惑や危険が迫ったら屈してしまう弱さを持っている。では、そういう弱い者、膝を屈してしまうような者には救いはないのか。そうではありません。主が何度でも回復してくださるのです。これが聖徒の永遠保持ということです。神が愛してキリストのものと選んでくださった者は、決して滅びることはありません。大祭司である主が祈っていてくださるからです。