2017年12月24日クリスマス礼拝説教 「神の愛と真実が、ここにある」

2017年12月24日

聖書=ルカ福音書2章1-7節

神の愛と真実が、ここにある

 

 メリー・クリスマス。クリスマスの礼拝です。クリスマスは、教会で最も大きな祝祭の時です。教会はいつもはたいへん地味です。あまり飾り付けのようなことはしません。しかし、クリスマスの時には飾り付けをし、クリスマスツリーを飾ったりします。そして「メリー・クリスマス」、「クリスマスおめでとう」と言い交わします。個人的には悲しいことがあっても、つらいことを抱えていても、例え身が戦場にあっても、この時は「メリー・クリスマス」です。なぜ、メリー・クリスマスなのか。

 クリスマスはイエス・キリストの誕生の記念の時です。この時に語られる聖書の大切な言葉がある。「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」です。マリアからの赤ちゃん誕生ですが、この赤ちゃんは「布にくるんで飼い葉桶に寝か」されました。これがクリスマスの主人公、イエス・キリスト誕生の「しるし」であると言われています。ベツレヘムで救い主であるお方が、幼子、赤ちゃんとして生まれた。それだけでなく馬小屋の「飼い葉桶」の中に寝かされている。それは「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」。今日の言葉で言えば、救い主イエスはホームレスとして生まれたと言っても言い過ぎではない。

 一人の赤ちゃんとして、無力な無防備な姿をさらしている。さらに飼い葉桶の中に寝かされています。ここに弱さと貧しさと低さとが徹底的に物語られているのです。初代教会の賛美歌だったと言われているフィリピ書2章6-8節に、こう謳われています。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」。

 クリスマスの出来事は神の御子であるイエスの誕生ですが、それは神のへりくだりであったということです。「飼い葉桶に寝かされた」ことは、神の御子イエスのへりくだりの具体的な姿でした。そこから「十字架の死に至る」道が始まっているのです。なぜ、神の御子は、このように身を低くされたのか。なぜ、神の御子であるお方が、飼い葉桶に身を置かれたのか。

 それは、ここに神の人間に対する熱烈な愛、真実な愛が働いているからです。神は熱烈な愛によって、罪によって滅びる以外に道がない人間を救い上げるためでした。最もへりくだった仕方で、神の御子が人間の罪と罪過を担われたのです。そのため、極限の場所に身を置いてくださった。主イエスの誕生は、私たち罪人を救い、贖い出すための神の非常手段でした。罪人を愛する激しい神の愛が、このことをさせたのです。この主イエスの誕生から十字架への道が一直線に続いているのです。

 貧しく人となられたイエスのお姿に、私たちは神の愛と真実を見るのです。クリスマスに、私たちはプレゼントを行います。クリスマスの時期になると、家族の間で、恋人同士で、親しい人同士で、プレゼントをお互いにします。この習慣はよい習慣だと思っています。こんな機会でなければ、日本では夫から妻へプレゼントなどあまりしないのではないか。プレゼントをする時は、相手を思い、相手を考えて、用意をします。プレゼントをすることは、私はあなたのことを覚えていますよ、忘れていませんよ、ということです。そして、プレゼントをいただく方は、私はこの人に覚えられている、私はこの人に想われているということを自覚するのです。

 聖書の中には、神がプレゼントを与えてくださったと記されています。「神は、その独り子をお与えになった」と記されています。神が、神の独り子というプレゼントを与えてくださった。これがクリスマスの意味です。この神のプレゼントが飼い葉桶の中に寝かされているキリストなのです。神が大きな大きな、これ以上ない大きなプレゼントを与えてくださった。

 プレゼントには基本的には愛が込められています。人間世界のプレゼントには警戒しなければならないものもある。贈賄などというとんでもないプレゼントもあります。しかし、本来、プレゼントの奥にあるのは相手に対する真実と愛情です。相手を思いやり、相手に好意を持ち、相手を愛して、その想いを込めてプレゼントを贈るのです。

 神のプレゼントである「飼い葉桶の中に置かれたキリスト」には、私たちを愛する強烈な神の愛が、神の真実な想いが込められています。私たちを思いやり、好意を持ち、愛してやまない思いです。罪を犯して滅びる以外ない私たちを思いやり、救い、贖い出してくださる神の愛です。この神の愛の想いが表に現れて神の独り子であるキリストをプレゼントしてくださったのです。ですから、こう申し上げていい。あなたは今、神から愛されています。神はあなたに好意を持ち、あなたの人生を思いやっていてくださいますと。あなたは独りぼっちで生きるのではない。あなたを見詰めている神がいる。その神が私たちを愛して、思いやり、救いを用意してくださいました。このことを、受けとめる時がクリスマスなのです。

 ただ今、一人の兄弟が洗礼を受けられました。洗礼を受けられた兄弟に申し上げます。あなたは、もう独りぼっちで生きるのではありません。主イエスが、いつも、どんなときでも一緒にいてくださいます。あなたの傍らに、主イエスがいてくださいます。どうか、飼い葉桶に寝かされたお方を見つめてください。十字架につけられたキリストを見上げてください。これが、神のプレゼントです。

 

 このことは、ここにおられる皆さまに同じように申し上げられます。私たちは神に愛されているのです。飼い葉桶に寝かされているお方は、神からの愛のプレゼントです。自分は誰からも愛されていない、嫌われていると思っても、神はまったく違います。神は、私たちを、あなたを愛していると言われています。この激烈な愛を持つ神が、私たちと一緒に歩んでくださいます。その真実と愛を確認する時が、クリスマスなのです。