2017年6月4日礼拝説教 「神の霊があなたがたの中に宿っている」

2017年6月4日

ペンテコステ礼拝 聖書=ローマ書8章1-11節

神の霊があなたがたの中に宿っている

 

 使徒言行録2章に「五旬祭の日が来て」と記されます。「五旬祭」が「ペンテコステ」です。50日目の祭りという意味で、過越から数えて50日目です。この時に「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」。これが「聖霊降臨」です。

 聖霊に満たされた弟子たちは「“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」。イエスの弟子たちが他の国々の言葉を語りだした。彼らは生粋のユダヤ人です。この人たちが世界中からエルサレムにきていた多くの人が理解できる言葉で福音を語り出した。つまり、世界中の言葉でキリストの福音を力強く語る教会が成立したのです。聖霊降臨によって新約の教会、新しい神の民としてのキリストの教会が誕生したのです。

 使徒言行録2章に、その時のペトロの説教が記されている。ペトロの説教はキリスト教会最初の説教で、十字架につけられたキリストが中心です。ポイントが3つある。1つは「あなたがたがイエスを十字架につけて殺してしまった」という十字架の死の告知です。2つは「しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました」という復活の証言です。3つは「イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました」という聖霊の注ぎについての解説です。

 最後に、聞く人たちに悔い改めを勧め、キリストの名によって洗礼を受け、罪の赦しをいただきなさいと勧めます。そうすれば「あなたがたも賜物として同じ聖霊を受けます」と約束した。この説教で人々は心動かされて、洗礼を受け、新しい生活に入っていった。これがペンテコステの出来事です。聖霊が見える形で弟子たちに注がれた。この出来事は、歴史的な出来事として新約の教会の出発に当たっての一回限りのことでした。主イエスの誕生が1回限りのことであるのと同じようにです。その後は、聖霊は豊かに教会の中に、福音が語られるところに臨在してくださいます。

 パウロはローマ書8章9節で記します。「神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます」。神の霊は、あなたがたの中に豊かに宿っている。キリストを信じて、キリストに属しているなら、あなたがたの中に神の霊、聖霊は宿っているのだ、と語っている。旧約時代にはごく限られた人にだけ聖霊が与えられた。王や祭司、預言者たちでした。ところが、ペトロは説教の中で、ヨエルの預言を取り上げて「神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する」と語った。普通の人の息子、娘、老若男女、身分に関係なく、だれにでも神の霊が注がれて神の言葉を語り出すのだと語った。

 ダムに満々と湛えられた水が堰を切られたならば一気に溢れ出して川となります。その川はいくつも集まって海になります。ペンテコステの時に始まった聖霊の注ぎは、今も変わらずに注がれて各地に満ちている。「あなたがたも賜物として同じ聖霊を受けます」と約束されたとおりです。聖霊はみ言葉の宣べ伝えと同じです。聖霊は「エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土、また、地の果てに至るまで」満ちているのです。

 世界に満ちている聖霊の働きを今日、私たち見ることが出来る。皆さんが道を歩いていて目にとまる教会堂の姿。そこに聖霊の働きがある。他教派の教会堂を見てライバル心を燃やす必要はない。「ああ、ここにも聖霊が働いている」と受け止めてほしい。1つの会堂が建つ背後には聖霊の働きがある。信徒の祈りがあり、伝道があり、献げ物があって会堂は建つ。私たちの会堂もそうではないか。聖霊が働いて説教がなされ、信徒が生み出され、祈りが積まれ、献げ物がされて会堂がある。聖霊の働きの結果と稔りをそこに見るのです。会堂の存在の背後に、聖霊の働き、み言葉の宣べ伝えと信徒の祈りを見るのです。世界に働く聖霊を確認していただきたい。

 今日、この聖霊の働きにあずかるためには、どうしたらよいのか。使徒たちは聖霊の降臨を待ちました。しかし、私たちは待たなくて良い。聖霊はすでに臨在しておられます。私たちが聖霊の息吹に活かされるためには、使徒たちの言葉を思い起こすことです。「わたしたちはどうしたらよいのですか」と問う人たちにペトロは言いました。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます」。

 悔い改めと信仰を新しくしていくことです。罪を認めて悔い改める。キリストを信じる信仰と信頼があるところに、聖霊が注がれ、聖霊が働かれるのです。聖霊は、今も生き生きと信仰者の中に働いておられます。罪に死んでいる者を新しく造り変えてくださる働きをしておられます。「今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです」。聖霊は、ただ何となく力が湧いてくるというものではない。「キリストによって命をもたらす霊」なのです。聖霊は、信じる者の中に内住して、永遠の命に生かしてくださるお方です。

 聖霊に生かされた人たちがキリストの体と言われる群れを形づくります。それが教会です。この教会こそ主の証人です。主の証人とは何よりもキリストを信じる信徒の群れなのです。五旬祭の日、ペトロだけが説教したのではない。「ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた」。福音宣教は教会の中に働く聖霊の営みです。聖霊が教会員一人ひとりを生かして、それぞれに賜物を与えてキリストの証人として下さいます。聖霊に生かされ、その賜物が用いられて、教会全体が主の恵みの出来事を伝える証人として歩んでいく。ここに聖霊の働きが豊かにあるのです。