2017年3月5日礼拝説教 「 変わらない神の言葉 」

2017年3月5日

聖書=Ⅰペトロの手紙1章23-25節

変わらない神の言葉

 

 ヨハネ福音書3章に、ニコデモという人が主イエスのもとを訪ねたことが記されています。このニコデモに、主イエスは人は新しく生まれなければ救いのないことを教えられました。ところがニコデモには新しく生まれるとことが理解できません。もう一度、お母さんのお腹の中に戻るなど出来ないと考えた。それに対して、主イエスは「人は、だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」と言われた。お母さんのお腹の中に戻ることではない。神の霊、聖霊の働きによるのだということです。「霊から生まれたものは霊である」ということです。

 今、私たちはキリストを信じています。これこそ、神の霊によって新しく生まれた結果です。ペトロは「あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです」。これこそ、主イエスがニコデモに言われた聖霊によって生まれることの内容なのです。

 先ず、私たちが信仰者、神の子として生み出されたのは「朽ちる種」と言われる人間起源のものによったのではない。ペトロは預言者イザヤの言葉を引用します。「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る」。今から春です。草が萌え出て、花が美しさを競い合います。これからしばらく、目に美しい季節を迎えることが出来ます。しかし、やがて草は枯れ、花が散る。これが現実です。「朝には紅顔、夕べの白骨」と言われるように、人間ははかなく脆いものです。

 しかし、私たちは「朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです」。ここに、私たちを救う神の御霊の働きが語られているのです。神の御霊は、人の心の内に朽ちない種、すなわち神の変わることのない生きた御言葉を植え付けて、その御言葉によって、人を新たに生まれ変わらせてくださるのです。

 ルカ福音書8章で、主イエスは種まきの譬えをお語りになりました。農夫が種まきに出て行った。いろいろな種類の土地に種を蒔いた。そこで蒔かれた「種は神の言葉である」と、主は言われています。種は福音と言われる神の言葉です。人となられた神の御子イエス・キリストを内容とした神の救いのメッセージです。これが福音であり、神の言葉なのです。ペトロの語る「朽ちない種」とは、神の言葉、福音の言葉なのです。

 神の言葉は第1に、「生きた言葉」と言われます。ヘブライ書4章に「神の言葉は生きていて、力があり」とあります。神の言葉は命を有し、罪と滅び、悲惨と死の中にある者に命を与える力を持っています。死の力を打ち破り復活させる力を持っている。種は枯れているように見えても、何百年、何千年も経ってから芽を出すこともある。「大賀蓮」の種が土中から見つかり、蒔いてみると大輪の蓮の花が咲き、今日、多くの場所で繁殖しています。人の心の中に蒔かれる種としての神の言葉、福音の種も、命を持っています。種が蒔かれて何十年も心の土壌の中に埋められていても、不思議に芽を出す。直ぐに芽を出さないと言って失望してはならない。生きた命を持ち、死んでいたような人をも新しく生かす力を持っている。

 第2は、それは「神」の言葉であること。罪人の救いに関わることの根源は神にあります。人の救いは神の意志であり、そこから出てくる神のご計画です。この神の意志、救いの計画が旧約の歴史の中で次第に明らかにされていきます。幕屋や神殿の儀式を通し、預言者たちを用いて救い主の来られることを啓示し、これらを文字に記すことをよしとなさいました。さらに、神ご自身であるキリストが来られて父なる神を示してくださいました。このキリストを証しする「聖書」、その聖書が伝える救いのメッセージが、「福音として告げ知らされた言葉」なのです。

 朽ちない種の第3は、「変わることのない」ことです。「変わることのない」と訳された言葉「メノントス」は、「保つ、残る」という意味を持ちます。神の言葉は草のように枯れることもない。花のように散ることもない。永遠に生き続けるという神の言葉の永続性と確実性が語られているのです。「言葉」は、語る人の思いや決意が現れたものです。そのため、人の言葉は変わります。しかし、神の言葉は神の永遠の決意の現れなのです。それが朽ちない種、福音なのですが、決して変わることはないのです。

 あなたがた、そして私たちは皆、この「神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです」。そしてペトロは、「これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです」と記しています。私たちは、この告げ知らされた福音の言葉によって新たに生まれさせていただきました。この事実をしっかり覚えてまいりたい。ここから、福音の言葉の告げ知らせとしての伝道が始まるのです。伝道によって福音の言葉が告げ知らされる。そこで死んでいたような人が新しく生まれるのです。

 私たちがすることは神の言葉の種を播くことです。良い土地だけを選んで播くのではありません。どんな土地であっても、やがて芽を出すことを確信して種を播く。福音の種が生きている、命の力を持っていることを信頼して種を播くのです。石地や踏みつけられた道のような頑なな心であっても、種自体がそこを押し破ってくれることを期待して種を播くのです。

 私たちも最初から神の言葉を喜んで聞いたのではなかった。しかし、神の言葉に耳を傾けるように、いつしかされていったのです。これが聖霊の働きです。聖霊は人の救いのために2筋の道を用いられます。1筋は、聖霊が奉仕する人を用いて福音の種を播く働きです。聖霊が私たちの伝道の働きを用いて福音の種を播くのです。聖霊のもう1筋の働きは、御言葉の種が播かれた人の心に直接働いて播かれた種を生かして下さるのです。水を注いで土地に湿り気を与え、太陽が暖かさを与えるのと同じようにして、御言葉の種・福音の言葉が芽を出すようにしてくださるのです。