2016年7月31日礼拝説教 「婦人たちを信じなかった」

                   2016年7月31日

聖書=ルカ福音書24章1-12節Ⅱ

婦人たちを信じなかった

 

 先週学んだところですが、もう一度、別の視点からお話ししておきたい。別の視点とは女性という視点です。ルカ福音書は「女性の福音書」と言われ、女性に対して特別な思いを込めて執筆しています。第1章から主イエスの母となったマリアのことを記します。洗礼者ヨハネを生んだ祭司ザカリヤの妻エリサベトも忘れがたい女性です。8章に主イエスにいつも身近に従っていた女性たちの存在が記され、この24章にはその女性たちがイエスの墓に駆けつけたことが記されています。

 

 今日、4つの福音書を読んで、十字架につけられた主イエスのお言葉を始め、十字架の出来事を詳細に知ることが出来る。このように詳細に記すことが出来たのは、一体誰の報告によるのか。マルコ福音書では、イエスが逮捕された時「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」(14:50)と記している。十字架の出来事、主の言葉、さらに葬りに至るまで福音書が詳細に記すことが出来るのは、ほとんど女性たちの報告によるのです。男の弟子たちは逃げ去って立ち会っていなかったのが実情です。

 

 ルカ福音書は十字架を見つめる女性たちについて記している。「イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた」(23:49)、「イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められた有様とを見届け、家に帰って、香料と香油を準備した」(23:55-56)。イエスの逮捕を境に、男の弟子たちと女の弟子たちとが大きく別れてしまった。男の弟子たちは捕らえられるかもしれないと思い散り散りバラバラに逃げ去って意気地のない姿をさらしてしまった。しかし、ガリラヤから従ってきた女性たちはイエスから離れなかった。十字架から葬りまで主イエスに従って、出来事の1つ1つ、イエスの語られたお言葉の1つ1つを心の中に刻んで、後に福音書記者たちに語り出した。主イエスの十字架の直接の主要な目撃者は女性たちでした。

 

 この関わりで、主イエスの復活について取り上げます。皆さんは不思議に思わないか。パウロがⅠコリント15章で記す復活伝承は男性だけです。「ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。次いでヤコブに現れ、最後に月足らずで生まれたようなわたしにも現れました」。女性の名前は一人も記されていない。何故か。復活の最初の目撃者はどちらだったのか。ここに当時の社会事情、女性差別が現れている。法廷の証言者として女性は認められていなかった。パウロも社会的に信用してもらうため復活証言を男性で固めた。

 

 主イエスの復活の最初の証人は婦人たちでした。男たちはエルサレムのある家の中で戸を閉ざして震えていた。女性たちははるかにしっかり行動しています。安息日が始まる前に、家に帰って安息日が終わったらすぐに墓へ行くことが出来るように「香料と香油を準備した」。安息日が終わると、週の初めの朝早く、女性たちは墓へ走った。女性たちも復活を信じて墓に行ったわけではない。主イエスに対する情愛から遺体に香料と香油を注いで新しい亜麻布でご遺体を巻き直して最後の別れをするためでした。ところが、墓の中にイエスの遺体は見あたらない。み使いが現れて「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方はここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか」と告げられた。

 

 この言葉によって「婦人たちはイエスの言葉を思い出した」。主の復活を悟った。他の福音書には、多くの女性たちに復活のイエスが現れたことが記されています。福音書記者ルカは、女性たちが主イエスのお言葉を思い起こす中で復活の出来事を確信したということを伝えている。彼女たちはみ言葉を思い起こして、お言葉によって復活を信じたのだと言いたいのです。目で見て、み言葉を思い起こして、イエスの復活の事実を確信し、復活の証人として立てられた。最初に立てられた復活の証人は女性たちです。

 

 彼女たちは「墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた」のです。ルカ福音書が強調したいことは、主イエスの復活の最初の証人、伝達者は女性たちであったことです。十字架と復活はキリスト教信仰の心臓部です。十字架の死が私たちの贖いであり、死人からの復活が私たちの永遠の命の源です。その最も大切な十字架の出来事と復活の出来事の最初の証人、伝達者は女性たちであった。このことは本当に驚くべきことなのだ。これがルカ福音書が伝えたいことなのです。

 

 ところが、この女性たちの伝えた報告を聞いた男の弟子たちの反応はどうだったか。「使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった」。「たわ言」とは、口語訳「愚かな話」と訳された。どうせ女たちの妄想だ。女たちの妄想の言葉を信じるなど男の沽券にかかわるとでも思ったのかもしれない。使徒と言えども、時代の空気の中で生きていた。新共同訳は、彼女たちの語った事柄が信じられなかったというだけでなく「婦人たちそのものを信じなかった」と訳している。語った事柄が内容的に信じられなかったのではなく、婦人たちそのものを頭から信じなかったのです。何を語ろうとも内容の問題ではない、女の語ることなど頭から信じなかった。それが「婦人たちを信じなかった」ということです。

 

 しかし、この女性たちこそが十字架の出来事を伝えてくれた。女性たちが真っ先に墓に行って、復活の主に出会い、主のお言葉を思い出して復活の出来事を伝えてくれたのだ。使徒たちは、実は彼女たちの後に続いたに過ぎないと記しているのです。私たちも、この福音書記者ルカの記すところに従って、婦人たちが目撃し、彼女たちによって証しされた主イエスの復活のみ言葉を受け入れて、信仰に生きる者となってまいりたい。