五島列島旅行記2(福江島2日目~久賀島、奈留島~中通島)

・楠原教会

 楠原教会の御ミサに出席してきました。朝6時半からのミサでしたが、70名ほどの方々が出席されていました。初めてカトリックのミサ(ここでは御ミサと呼ばれています)に出席しましたが、典礼の流れるような式次第にまったく付いていくことができませんでした。

 出席されている皆さんは、賛美歌も典礼文もほとんど記憶されている様で、ほとんど何も見ずにすらすらと賛美や公同の祈りをささげている姿に、圧倒されました。

 楠原教会は、明治45(1912)年に、堂崎教会に続いて、鉄川与助によって建設されたリブ・ヴォールト天井をもつ、レンガ造りのゴシック様式の会堂です。

この会堂で現地の皆さんと一緒に神様を礼拝し、「ここは本当に祈りの家だ」と強く感じました。カトリックの典礼ですので、すべて式文祈祷でプロテスタントの様な個人の言葉による自由祈祷ではないのですが、それでも、何がとは言いにくいのですが、御ミサに出席している方々の祈りの熱心が伝わってきたのです。

 そして、御ミサが終わるとわずか5分ほどで全員が帰宅し、気がついたら会堂敷地周辺には誰もいなくなっていたのも、かなり衝撃的でした。

・楠原牢屋跡

 1865年(元治2年)の長崎での信徒発見以降、五島列島の隠れキリシタンたちも、次々と長崎のプチジャン司教の元を訪れて受洗し、信仰を公に告白し始めました。しかし喜びもつかの間、1868年(明治元年)には信徒への弾圧が始まり、この楠原の地でも34名が捕えられ牢に入れられたのです。
 小さな家畜小屋の様な家に着物一枚で大勢が押し込められ、1871年(明治4年)に釈放されるまで、毎日役人たちに棄教を迫られ拷問を受けていたそうです。

・三井楽教会

 「三井楽(みいらく)」という地名は、遣唐使の日本最後の港の名前として知られています。

 巨大なモザイク画の美しい教会でした。すぐ横の墓地は、個々のお墓が豪華で巨大でした。

・宮原教会 

 堂崎教会の北西15分ほどのところにある小さな教会です。

 ぱっと見は普通の日本家屋の教会ですが、五島にはこの様な古民家を改造した教会堂がたくさんあります。


・半泊教会

 半泊(はんどまり)という福江島の中でも最も辺境の北縁の地にある教会です。タクシーの運転手さんに案内していただかないと、とても行けないような細い山道をずっと行った先にあります。

 半泊教会の会堂は、これまた鉄川与助さんが1922年(大正11年)に建設した、船底天井(折り上げ天井)を持つ、内装の飾りなどがほとんどないシンプルなものです。しかし、水色と白のコントラストの内装はとても可愛らしく、優しい気持ちになります。

 

・キリシタンクリーズ

 お昼からは、カトリック長崎大司教区が主体のNPO長崎巡礼センターの方のガイドによって、小さな船(海上タクシー)で久賀島、奈留島、若松島を案内していただきました。

 ツアーの名前は「キリシタンクルーズ」。五島自動車株式会社が運営しているツアーです。


久賀島

・旧五輪教会

 五輪(ごりん)教会は、久賀島五輪地区にある教会です。

 この旧五輪教会は、大浦天主堂に次ぐ、日本二番目に古い木造の教会堂で、1881年(明治14年)に建てられたものです。現在は、すぐ横に新たに会堂が建てられたため、五島市に寄贈されて公開展示されています。この会堂は、国の重要文化財に指定され、ユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストにも掲載されています。

 8分割されたリブ・ヴォールト天井は、当時の建築技術ではここまで分割しないと板材ではこの天井を貼れなかったためだそうです。この後の時代の会堂では技術が進歩して4分割になっており、日本の教会建築の歴史を知る上では重要な建物です。

 また、祭壇との間の仕切りなどの内装が大浦天主堂とまったく同じ部材が使用されている点も面白い。おそらく内装部材はヨーロッパから輸入された規格品を使用していたんでしょうとのことでした。

 豆知識ですが、あの五輪真弓のお父さんはこの地の出身だそうです。

 かつては50世帯以上あった五輪地区の集落も、現在は2世帯にまで激減しているとのこと。久賀島全体でも2000人いた人口が、現在では400人以下にまで減少しており、過疎の問題は深刻です。

 

奈留島

・江上教会

 江上(えがみ)教会は奈留島の西端近く、海辺の木々の中にひっそりある小さな教会です。この教会も、国の重要文化財であり、ユネスコ世界遺産(文化遺産)暫定リストへの掲載が決まった「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する教会の一つです。

 白い壁に水色の窓枠が可愛らしい外観も素敵ですが、この教会の特筆すべき点は内装にあります。すべての柱や梁の木目が手書きなのです。それも江上教会の信徒の手によるものだそうです。正目の木材にベンガラを塗り、その上に茶色の下地を塗り、さらにその上に一本一本、板目の木目を手書きで描いているのです。

 信徒の方々の教会堂に対する深い愛情と熱心を感じる教会堂でした。

 しかし、この教会も極端な過疎化により、信徒は2人にまで減少してしまったとのことです。奈留島全体としても、最盛期は8000人いた人口が2500人にまで減少しており、ここでも過疎は切実な問題となっています。