2014年11月2日礼拝説教 「神の国の成長」

              2014年11月2日

聖書=ルカ福音書13章18-21節

神の国の成長

 

 主イエスは、一人の婦人をいやされた後、「神の国は何に似ているか。何にたとえようか」と言われた。神の国はユートピアではない。現実に歴史の中にある、存在します。神の国とは「神の支配」です。主イエスが一人の婦人を18年間の病の霊から解放し、いやされた。神の恵み深い働きがなされ、その恵みが受け止められ、喜びをもって神への賛美がなされている所に神の支配、神の国がある。ここでは安息日礼拝の中で神の恵みの支配が示されたが、神の国は礼拝の中だけではありません。主は個人の家で、道ばたで、海辺で、恵みの御業を行われた。そこにも神の国はある。神の恵みの御業がなされる所、それがどこであれ、そこに神の国はある。

 会堂でなされた主イエスの恵みの御業に始まった神の支配は、今日の私たちの歴史にも引き継がれています。主イエスのお体は天に挙げられていますが、キリストの御霊は今もここにご臨在くださいます。神の言葉が語られ、信仰によって神の恵みが受け止められ、いやされ、平安と喜びをいただき、主を賛美します。主の恵みの御業はここに続けられているのです。恵みを喜び、祈りを捧げ、神を礼拝する信徒の群れ、ここに神の国があるのです。教会の礼拝は神の国の姿、その現れです。

 しかし、「神の国」は教会にだけ限定できません。神の支配は決して教会だけにとどめられません。教会を越えています。皆さんの家庭も神の国、仕事場も神の国です。皆さんがキリストのしもべとして奉仕する所、神の御業がなされる所は神の国です。医療の現場で、福祉の現場で、神の国が来ている。そこに神の国の最先端がある。浜松教会では東日本大震災の多くの被災者に関わってきた。ディアコニアの働きは神の国の働きです。神の国はそこに来ている。礼拝で「派遣の言葉」を聞き、キリストのしもべとして派遣される場こそ、神の国の最先端であることを受け止めてほしい。

 神の国の働きはキリストの弟子たちが引き継いでいきます。信徒の働きの中に、その奉仕の中に神の国はある。この弟子たちを支え励ましたのが、この主イエスのお言葉です。主イエスは神の恵みの支配、神の国はこのように成長するのだと、約束してくださった。主イエスは2つの例えを語られています。1つはからし種の例え、2つはパン種の例えです。2つの例えですが、語りたいことはただ1つ、「神の国は成長する。最初の出発からは予想も出来ないほどの豊かな祝福と成長をもって完成に至るのだ」という約束です。この主イエスの約束の言葉に信頼して歩んでまいりたい。

 主イエスは「神の国はからし種に似ている」と言われた。「成長して木になる」と言われるように大きな灌木になります。種は砂粒よりもさらに小さい。こんなに小さな種があんなに大きくなるとは予想できない。神の支配、神の国、その中心である教会がからし種に例えられている。やっと目に見える程度のごく小さな種がやがて大きな灌木になる。蒔かれた時はまことに地味で目立たない。しだいに成長し、終わりには、つまり主イエスが再臨される時には目を見張るほどに大きなものになっているということです。主イエスはこう言われている。群れが小さい、奉仕が報われないと不安に思った時、このからし種の成長を見て心を落ち着けなさい、と。

 主イエスは言われます。「神の国を何にたとえようか。パン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる」。パン種とはイースト菌のことです。家庭の主婦が何日分かのパンを焼こうとしているようです。三サトンとは約38リットルです。大家族の時代ですからこの程度焼かなければ1週間程度の食料にはならない。主婦は粉をかき混ぜて、その中にごくわずかなパン種を混ぜてさらにかき混ぜ、しばらく置いておきます。数時間後、こねた粉はすっかりふくらんでいます。静かに寝かせている間にパン種は働いて粉をすっかり大きくふくれさせます。

 からし種とパン種の例えは、基本的に同じことを教えています。1つは、からし種の中に、パン種の中に、命があることです。内に命を持っているのです。神の国は命を持っている。神の命と言っていいでしょう。命があるならば、必ず芽を出し成長します。私たちは神の命を持っているでしょうか。信仰者としてキリストの命に生きているでしょうか。私たちの教会はキリストの命に生かされているでしょうか。キリストの命に生かされているならば、心配する必要はありません。必ず成長するのです。

 2つは、姿を隠すことです。からし種は地にまかれなければなりません。土に蒔かれて種は姿を消していきます。種が土と1つになり、分からなくなります。すると芽を出して成長し木として成長する。パンの例えも同じです。パン粉の中にひとかけらのパン種を入れます。こねていくと、パン種は粉の中に入って粉と一つになって粉全体をふくらませる。パンになるとパン種はもうまったく分かりません。からし種として、パン種として、私たちはこの世界に入って行きます。礼拝で集められた私たちは、一週の間、この世界に派遣されて姿を隠し、派遣された使命に生きるのです。

 最後に、失望しないで静かに待つことです。「やがて」という言葉が印象的です。ある一定の時間が必要だということです。最初は目立たずほとんど気付きもされない。成功の見通しもあまりない。しかし、からし種は必ず成長し、パン種としての私たちの奉仕は静かに働いて影響を与えて、終わりの時には神の支配が完成するのです。「わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」。