2014年8月31日礼拝説教 「礼拝における賛美」

            2014年8月31日

聖書=詩編150編1-6節

礼拝における賛美

 

 キリスト教礼拝では賛美歌は大きな位置を占めています。午後の集会で、私たちの教会としてこれからの礼拝の賛美歌集を現在の讃美歌を継続的に用いていくか、それとも変えてみるかということを、ご一緒に考える時としたいと願っています。教会がどちらを向いて進んで行くのかという大きな節目と言っていいでしょう。よく考えてまいりたい。

 まず、主日の礼拝は「神の国の祝宴」を映しだす主イエスの復活を記念する日です。死と滅びから解放されてキリストとの交わりを祝うハレの日、喜びの祝いの時です。礼拝は神を賛美して祝う時です。幕末・明治初期に、教会を「講義所」と呼びました。聖書講義を聴くところでした。あまり賛美歌など歌わず、聖書講義を拝聴した。日本人は斉唱、一斉に声を揃えて歌う習慣がありませんでした。賛美歌は刺身のツマみたいな扱いでした。しかし、礼拝はダイナミックなもので、主の復活の勝利を喜び賛美する時です。「主を見て喜んだ」弟子たちの喜びが賛美において表されるのです。

 次に、礼拝は「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」と約束されたキリストとの交わりの時です。礼拝は大きく二つのパートに区分することができる。1つは「神からの語りかけ」です。礼拝順序で言えば、招きの言葉、赦しの言葉、聖書朗読、説教、聖餐、派遣の言葉と祝福という部分です。2つは「私たちの応答」です。祈り、信仰告白、賛美、捧げ物という部分です。礼拝は「神からの語りかけ」と「私たちの応答」という二つの部分によって成り立ち、この二つの部分を組み合わせ、交差させて対話としてのリズムのある礼拝となっていくのです。この神との交わりが言葉をもってなされていく。神が語りかけ、それを聞いて応える。また神が語り、会衆が応答する。互いに語り合う、応答し合う。言葉による語りかけと応答の中で人格的な交わりとしての神礼拝がなされていくのです。この礼拝の中で、大きな位置を占めるのが賛美です。賛美は「会衆からの応答」の部分と言ってよいでしょう。しかし、それだけでなく、賛美は「神からの語りかけ」も担っているのです。

 この神との人格的な交わりとしての礼拝が、隣人・兄弟姉妹と共になされることです。礼拝は自分一人だけの神との交わりではない。兄弟姉妹たちとの横の交わりの中で共に祈り、共に賛美し、共に重荷を負い合うのです。礼拝の賛美は個人的なものではなく共同体の賛美です。独唱も時にはありますが、基本的には群れとして、会衆としての賛美の捧げ物です。この信仰共同体の中には兄弟姉妹たちが世代を超えて存在しています。礼拝は共通に分かりあう言葉で捧げられねばならない。さらに、礼拝は同時に伝道集会という側面があります。普段の礼拝の中に新しい方々を迎えているのが実際です。「公同礼拝」は、なによりも未信者、求道者に開かれているのです。礼拝が未信者の方々に分かるものでなければならない。これは賛美において考えねばならない大切な視点です。未信者、若者たちが今、何を歌っているのか、意味が分からないようなことがあってはならない。新来会者とも共通に分かる言葉での賛美が礼拝を支えていくのです。

 賛美歌の意味と働きを考える時に、賛美歌の基本的なあり方が分かってきます。賛美歌は第1に神を賛美すること、神を主とすることです。神を神として賛美することが礼拝賛美の基本です。礼拝の最初と最後に歌われる「頌栄」とか「讃詠」という賛美、さらに現行讃美歌の「礼拝・讃美」などの項目にある讃美歌が典型的な神讃美の歌です。ところが、この部分の賛美歌の言葉が今日、若い人たちには分からなくなっているのです。

 賛美歌の第2の意味と働きは、祈りです。祈りと賛美歌は基本的に同じであると言っていいでしょう。私たちは「主の祈り」に導かれて祈りを捧げます。この主の祈りに含められている事柄が祈りであり、賛美なのです。神への賛美だけでなく、私たちの信仰生活のすべてに関わります。賛美歌は神を神とする狭い意味での神賛美だけでなく、私たちの祈りのすべての課題に対応するものと言っていいでしょう。これは説教に関わります。説教は必ずしもいつも救いに関わるというものでもありません。時に応じて、教会の課題や社会的な奉仕、平和などの問題にも関わります。これらも説教の課題であり、祈りの課題です。これらの祈りの課題に応えて、感謝した時、苦難の時、喜びの時の祈りの言葉に曲を付したものが多くの賛美歌なのだと言っていいでしょう。

 賛美歌の第3の意味と働きは、聞く者に神の恵みとみ言葉を伝え訴えるアッピールを持つメッセージであることです。賛美歌はメッセージソングです。説教の役割を果たします。これは決して目新しいことではありません。4~5世紀にキリスト教会は大きな論争ありました。イエスが神であるのかどうか。父・子・聖霊の三位一体が教理として確立していった時代です。論理的に説明することは難しい信仰の真理です。これを、どう教会員たちに教えていくか。教会は三位一体の教理を賛美歌にしたのです。賛美歌を通して教会員に三位一体を教えていったのです。宗教改革の時代、ルターの宗教改革が驚くほどの勢いで広がったのは、グーテンベルクの印刷機のおかげだけでなく、賛美歌がありました。ルターは宗教改革の主要なポイントを賛美歌にした。その賛美歌を当時の民謡の曲に乗せて歌わせたのです。それによって、ルターの宗教改革の運動が広がったのです。このようにして音楽・賛美を通して、宗教改革が上流階級だけでなく、一般民衆からも強力に支持されていったのです。賛美歌の基本は、互いに分かる言葉をもって、神を伝え、神を喜ぶことにあるということです。