2014年3月9日礼拝説教 「必要なことはただ一つ」

              2014年3月9日

聖書=ルカ福音書10章38-42節

必要なことはただ一つ

 

 この出来事は多忙に対する警告です。忙しいことは悪いことではない。忙しい人は才能のある人です。自分で仕事を見つけられる人、人から仕事を持ち込まれる人です。能力のある証拠です。しかし、忙という字は「心をなくす」と書く。忙しさは時に心の病気を引き起こす。多忙の故にうつなどの病気になることも増え、「燃え尽き症候群」なる言葉も出来ています。

 「マルタという女が、イエスを家に迎え入れた」。マルタがこの家の主人でした。一家を切り盛りしている頼もしい女性です。主イエスが来られる場合、弟子たちも一緒です。近隣の人も集まってきて、主イエスは御言葉を語るのが常でした。最近「オモテナシ」が流行語になった。「もてなし」、接待ですが、ギリシャ語は「ディアコニアン」、奉仕です。マルタは奮闘した。お茶を出さねばいけない。イエス様一行のためにおいしい食事も用意しなければいけない。あれも、これもと考えて走り回る。気を遣う。精一杯のもてなしをしようとした。マルタの姿は頼もしい。このような女性によって私たちの家庭も、教会も支えられてきたのです。

 この時、妹のマリアはどうしていたか。「マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた」。「聞き入っていた」とはいい訳し方です。「傾聴」という言葉がある。主のお言葉にじっと耳を澄ませて、集中して、聞き続けていた。ここに、私たちの御言葉の聴き方が示されています。

 このマリアの姿を見たマルタは、カッとした。「こんなに忙しくしているのに、何にも手伝わない」と怒りにも似た感情です。何の手伝いもしない。分かってくれない。いらいらしてくる。この時のマルタの表情、態度、気持ちは容易に想像できます。マルタの心中がどんな状態であったかは、その後の主イエスの言葉から分かります。「多くのことに思い悩み、心を乱している」。「思い悩む」とは心を騒がせることです。「心を乱す」とは思い煩いで右往左往する慌ただしさです。振り回され心が空転している状態です。

 マルタは主イエスに突っかかる。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください」と訴えます。この感情は多くの人が共有できるのではないか。こんな気持ちを一度も味わったことのない人はいないでしょう。マルタの気持ちは多くの人に共感される。主イエスはマルタにたいへん同情的です。主イエスのお言葉には批判めいた響きはありません。

 主イエスは続けて言われました。「しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」。この物語はここで終わっている。この後、マルタは主の御言葉をどう受け止めたでしょう。想像するしかありません。その想像の仕方が、その時の聖書の読み方を示し、その時の状況をも示しているのです。極めて簡潔にまとめられた物語が私たちに呼び起こすイメージは強烈です。主イエスのお言葉は、何を教えようとしているのか。状況の中で考えていかねばならないのです。

 1つは、「時」を知り、「時」をわきまえることです。普段からマルタばかり働かせている妹だったら怠け者として非難される。マリアは決してそうではなかった。今、主イエスを家に迎えた。マリアは、この時の重大さを悟って正しく対処した。主イエスはこの後、エルサレムに上ります。再び、この家に来られることはない。マリアは「一期一会」を悟った。主イエス御自身から福音を聞く機会は、この時しかない。この「時」を悟った。私たちも「時」を見分ける分別、判断力を祈り求めなければならない。今の「時」がどういう「時」であるかを見分ける力を祈り求めたい。

 第2は、主イエスをもてなすとは、どういうことなのか。主イエスに対する最大のおもてなし、奉仕は、主のお言葉に耳を傾けることです。マルタだけが主イエスのおもてなしを考えていたのではありません。マリアもまた主イエスのもてなしを考えて主の足もとに座った。これこそが「マリアから取り上げてはならない」ことです。主イエスの使命は神の国の福音を宣べ伝えることでした。主に対する最大の最も必要なディアコニアは、御言葉に聞くことです。主イエスは華やかな晩餐会のような接待を望んではおられません。必要なことは、ただ1つ、それは主の御言葉に耳を傾け、心を集中することです。その中で、神が私たちに何を望んでいるのかを聞き取ることです。礼拝を守ることは、主イエスが私たちに、今、どのような奉仕を望んでおられるかを、聞き取る大切な機会なのです。

 第3は、物事の順序を見失わないことです。それが「必要なことはただ一つ」ということです。私たちの生活は、いろいろなものが必要です。不要なものなどはあまりありません。仕事もそうです。あれもしておきたい、これもしなければならない。するべきことがたくさんある。みんな大事なこと、必要なこと、良いことです。しかし、大事なこと、必要なこと、良いことの順序や重要度を見失ってはならない。心が分散し、ノイローゼになると、何が最も大切なことか、物事の順序、重要性の順序が分からなくなる。ある精神科の医師の書いたものを読みました。対談形式で、ある人が「自分がノイローゼになっているなと自己診断する方法はないでしょうか」と尋ねます。先生は「何が一番大切なのかという位置づけ、物事の大切さの順序が判断できなくなった時です。どうでもよい小さいことにひどくこだわっている時は、精神が不安定になっている時です。その時、何が一番大切なことかを考え直すことが必要です」と記していました。

 必要なことは、主の御言葉に耳を傾けることです。御言葉に耳を傾ける中で、今、主が何を望んでおられるのかを聞き取って参りたいものです。