11月24日礼拝説教 「聖書…この不思議なもの」

             2013年11月24日

聖書=Ⅰテモテ書3章15-17節

聖書…この不思議なもの

 

 「バイブルサンディ」という言葉は聞き慣れない言葉だと思います。この言葉は英国の国教会と英国聖書協会が使い始めた言葉です。200年ほど昔、アドベント第2主日を「聖書聖日」として礼拝で聖書に関する説教をし、すべての国に聖書が伝えられるようにと祈ったところから始まります。ギデオン協会の方が聖書贈呈のお話をしてくださる今日の礼拝で、聖書についてのお話しをさせていただこうと願いました。

 キリスト教信仰を得る、さらに信仰の成長の基本は「聖書に親しむ」ことです。「親しむ」とは誰かが読むのを聞くだけでなく、積極的な自分の姿勢です。自分の目で、自分の声で、直接聖書を読むことが「聖書に親しむ」ことです。少しずつでも1日に1度は、聖書を開けて読む習慣を身につけることが「親しむ」ことです。

 今日、ギデオン協会の方々は、教会の献金とご自分たちの捧げ物で聖書協会から新約聖書を購入して中・高生、大学生、看護師、ホテルなどに無料で贈呈しておられます。この贈呈聖書はタダでいただけますが、聖書は高いと多くの人が感じていることだと思います。他の出版物に比べると、私も「高いなあ」と思っています。

 皆さんは古代・中世の時代、聖書はどのような形で伝えられ、どのようにして人々は聖書に親しんでいたのか、考えてみたことがあるでしょうか。現在、聖書は本の形、ブックになっています。しかし「聖書66巻」という言葉が残っています。元は巻物でした。古代から中世末までは、主に修道院が聖書の制作場所でした。聖書のような貴重なものは主に「羊皮紙」に記しました。小羊や子牛の柔らかな皮をなめして羊皮紙を何枚も作ります。それを綴り合わせて巻物にする。この羊皮紙に先が尖ったナイフ、鉄筆のようなもので1字1字切り込んでいく。その切り込んだところにインクを載せていくのです。拭き取れば刻んだ文字のところだけにインクが残ります。羊皮紙を作る作業、刻み込んで書く作業、それを巻物として装丁する作業、細かなたいへんな作業です。1巻1巻が芸術作品です。

 細かい仕事に向いている人たちが写字生として修道院の「書物の部屋」の中で生涯、聖書写本を作る作業に励んだ。たいへん貴重で値段は高価で教会で一揃い揃えるほかはありませんでした。一巻一巻が宝物でした。個人で聖書を持つことができたのは、国王や領主、大富豪だけでした。

 これが大きく変わったのが、15世紀のグーテンベルクの印刷術でした。グーテンベルクの印刷術で最初に印刷されたものが、当時のラテン語訳聖書でした。ここから聖書が今日の「本」ブックの形になりました。しかし、この時でもまだ聖書はきわめて高価でした。印刷本と言っても今日のように何万部ではありません。数百冊、数千冊です。グーテンベルクの革命的な印刷聖書も実は僅か180部でした。その一部の値段は当時の公務員、官吏の3年分の年俸だったということです。まだまだ王侯貴族や一部の富む人のものでした。一般庶民の手に入るものではありませんでした。

 大きく変わったのが1804年に英国に「英国外国聖書協会」(British&ForeignBibleSociety)が設立されてからです。この聖書協会が出来るには一人の少女の物語から始まります。18世紀の末、英国のウェールズにマリー・ジョーンズという少女がいました。村に小学校ができ、マリーは「これで私も読み方を習って、いつか聖書を読むことができる」と喜びました。もうこの時は宗教改革後でしたから、聖書は自国語に訳されていました。英語で聖書が読める。ところがその聖書は高価です。自分の聖書を持って、自分で聖書を読みたい。そう思ってもすぐには買えません。聖書を買うために、彼女は一生懸命に働き、お金を貯めました。しかし、どこで聖書を売っているのか分かりません。バラという町に聖書を何冊か持っている人がいることを知りました。そこまで約40キロあります。マリーはそれを歩いて行きました。他に行く方法もありません。長い長い道のりでした。 聖書を持つチャールス牧師の家を尋ね当て、マリーは聖書を売ってほしいと頼みました。ところがロンドンから届いた数冊の聖書は1冊を除いて全部売れてしまっていた。残った1冊も予約済みでした。それを聞いてマリーは力が抜けて泣き出してしまった。それを見たチャールス氏は予約していた友人に聞き合わせてくれました。しばらくしてチャールス氏は1冊の聖書を手にして戻ってきた。「マリー、これが君の聖書だよ」と渡してくれました。帰った彼女は聖書の最後のページにこう記します。「マリー・ジョンズ、1784年10月16日に生まれる。1800年、16歳でこの書を購入。この聖書の所有者は私、マリー・ジョンズ」と大きく書いた。

 やがてチャールス牧師はロンドンに行き、マリー・ジョーンズの話を多くの人たちにしました。ここから話がとんとんと進みました。自国語に翻訳された聖書を多くの人たち、少女でも努力したら手にすることができるようにと、多くの人たちの協力を得て世界初の「聖書協会」が1804年、英国に設立されました。聖書が多くの国の言葉で翻訳され、多くの人たちに手渡されるようにという願いからです。ここから、この時から、なんとか努力したら少女でも聖書を手に入れることが出来るようになりました。

 聖書はなぜ、マリーのような少女によってさえも必死にお金を貯めて買い求められるのだろうか。聖書には不思議な力がある。聖書は罪人を愛する神を示しています。聖書はキリストを証しする器なのです。キリストの中に永遠の命があり、救いがあります。そのキリストを盛る器が聖書なのです。生けるキリストと出会う体験をする。これが聖書の働きなのです。