8月4日礼拝説教 「第一戒への責任」

                  2013年8月4日

聖書=出エジプト記20章1-7節

第一戒への責任

 

 最近の日本の政治家の発言を巡って日韓、日中の歴史認識についての対立が深刻になっています。日本がかつて韓国や中国を侵略し残虐な事を行ってきた。その歴史の事実を正視することを「自虐史観」と言って、侵略の事実を歴史や社会の教科書から削除しようとしています。キリスト者はこの時代の流れの中で歴史の事実と真実を見つめていかねばなりません。私たちは「世の光、地の塩」としての使命があります。しかし、今朝は社会一般の歴史の問題ではなく、教会の犯した罪の事実をお話しして、このことを先ず自覚していきたいと願っています。

 「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」。これが第一戒です。この戒めが他のすべての戒めの基礎、土台になっています。キリスト教信仰の土台、聖書的信仰の基礎です。唯一の神だけを信じ、神のみを礼拝して生きる。これが旧約から新約を貫く基本的な信仰のあり方です。神は罪を犯し滅びるべき私たちを愛して、キリストの贖いの恵みにあずかる者としてくださいました。神の愛と救いが先行します。私たちは、今、神に愛されている。神に救われている。この神の救済を大前提として、ハイデルベルク信仰問答は第1問答で「わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです」と記すのです。

 この神との愛の交わりの関係を断ち切ってはならない。この神との関係を断ち切ることが「偶像崇拝」です。これを隣国の韓国の教会に強制したのが、旧大日本帝国と戦前の日本の教会でした。1931年から日中戦争が始まると、日本政府は韓国を物的人的な補給基地としていきます。韓国・朝鮮の人たちを「内鮮一体」「皇国臣民化」という言葉で日本人化させ、戦争に動員しようとした。学校で韓国語の使用を禁止し、韓国人の姓を日本人のような姓に変えさせた。「私どもは大日本帝国の臣民であります。私どもは心を合わせて天皇陛下に忠義を尽くします」との皇国臣民の誓詞を学校などで暗記させて唱えさせる。そして神社参拝を強制したのです。

 その時、問題になるのが韓国・朝鮮のキリスト教会でした。当時、韓国の民衆の心に深く入り込んでいたのはキリスト教でした。そのために総督府は宣教師を追放し、讃美歌・説教を取り締まり、教会に国旗掲揚塔を作らせ、日の丸への敬礼、東方遙拝、神社参拝を強制した。わりあい早く屈服した教派もあった。しかし、宣教師の影響が強く保守的な長老派教会が頑強に抵抗しました。また長老教会が韓国の最大教派でもありました。このため、総督府は「神社参拝拒否教徒、断固検束」の方針を固め、「当局の指導に従わぬ信徒には法的処置をとる」と宣言した。同時に、日本のキリスト教会に助けを求めたのです。

 当時、日本の最大の教派は同じ長老派系の旧日本基督教会でした。その牧師たちを多数韓国・朝鮮に送り、神社参拝を勧めさせたのです。その最大の出来事は、日本基督教会の大会議長富田満牧師が1938年6月に韓国の諸教会を訪問し、指導者たちに神社参拝を強力に説得したことです。警察は9月の総会の前に神社参拝に反対する主要な牧師・長老たちを検挙しました。その中に有名な「朱基徹牧師」もいました。こうして警官と憲兵に取り巻かれ、富田満牧師たちの説得を受けて、1938年9月、大韓長老教会は第27回総大会において神社参拝を可決したのです。

 国家、総督府が韓国教会に神社参拝を強制しただけでなく、国から委託されたとは言え、日本の教会が大会議長を送って教会の名によって他の国の教会に「神社参拝は罪ではない」と勧めた。これは日本の教会にとって神に対する致命的な罪であり、あってはならないことです。これが戦前の日本の教会の姿でした。自分たちの教会で皇居遙拝をするだけでなく、隣国の教会にも神社参拝を強要したのです。十戒の第一戒が空しくされたのです。日本の教会はこの時点で、キリスト教としても、教会としても、おかしな存在になっていたのです。このことが、戦後も深く自覚されることなく、今日に至っていることが日本の教会の病根となっているのです。

 第一戒は十戒全体の基礎となる戒めです。神はイスラエルを出エジプトさせ、シナイ山で契約を結んだ。これによって、神とイスラエルは夫婦関係に生じるような深い人格的な交わりの関係に入ったのです。何故、他の神々を拝んではならないのか。それは主なる神と契約を結んで、神と民が一夫一婦のような関係に入ったからです。そのゆえに、主なる神ヤハウェだけを神とすることが当然のこと、あるべきことなのだとしているのです。

 実は日本の教会だけが第一戒を守ることに失敗したのではない。イスラエルの民は、やがて約束の地・カナンに入っていきます。当時の宗教的環境は多神教の世界でした。農耕の神バアル、その配偶神アシュトレトは多産の女神です。その多神教の世界の中に入っていって、イスラエルの民は宗教的に失敗を繰り返す。異教の神々の前に膝をかがめ、香をたき、子らをも犠牲に献げるという愚かなことを繰り返した。しかし、神はこのイスラエルを捨ててしまったか。決してそうではない。繰り返し、悔い改めを命じ、立ち帰るのを待ち続け、忍耐して契約の関係を守り抜いてくださった。悔い改めさせるために、神はイスラエルの民をバビロン捕囚という重い歴史を体験させました。神殿を失い、国を失いました。その中で、イスラエルの民は唯一神信仰を回復しました。イスラエルの民に唯一神信仰が確立したのはバビロン捕囚期以降のことだと言われています。これが悔い改めへの神の導きなのです。これが熱情の神のなさる御業なのです。