4月14日伝道開始記念礼拝説教 「記念の12の石」

                   2013年4月14日

聖書=ヨシュア記4章1~24節

記念の12の石

 

 本日は私たちの教会の「伝道開始」を記念する礼拝として守ります。浜松教会の場合、1967年4月の伝道開始に立ち会ったという方はいないと思います。まだ事情を知る先生方がおられるうちに創設期のことを十分に聞き取っておくことが必要でしょう。教会が世代交代することは必要なことです。世代交代ができないで古い人がそのままということは将来がないことです。新しいメンバーが増えて、新しい人たちによって教会が担われ、新しい伝道が展開していくように祈り求めたいと願います。

 そこで問題になるのは、どうしたら新しい世代の人たちが同じ思い、同じ志をもって教会を担い、新しい課題に取り組むことが出来るようになるかということです。そのためには「回顧」が問題になる。しかし、回顧と言うと若い人たちには年寄りが愚痴を語るように思われてしまいます。聖書では回顧という言葉よりも、「記念」という言葉が多く使われています。ある出来事を記念し回顧することによって、古い人たちの経験が伝えられて共同体全体の経験となるのが記念です。そこに出てくるのは伝統の継承です。教会は伝統を受け継ぐ、伝統継承の中で形づくられていくのです。

 私は福音派と呼ばれる教会で信仰を持った。そこでは教会の伝統などは軽視あるいは無視されていた。ローマ・カトリック教会は2つの権威を語る。「聖書と伝承」です。これに対してプロテスタント教会は「聖書のみ」だと教えられた。伝承切り捨てです。ところが聖書と神学を学んでいくと、伝承というものはそんなに簡単に切り捨てられるものではないことを悟りました。伝承とは歴史なのです。私たちは歴史の中で生まれ、歴史を形成していくのです。この歴史の継承ということが伝承なのだということに気付いた。なによりも聖書自体が伝承の中で生まれてきたものです。

 イスラエルの民がヨシュアに導かれてヨルダン川を渡るという歴史的な出来事が記されているところを読みました。イスラエルの民にとっては出エジプトと並ぶ歴史的出来事です。神の約束の成就の時です。民はヨルダン川の東の岸辺に到着し、そこに宿営します。民の中には女も子供もいます。いよいよ契約の箱を担ぐ祭司たちを先頭にして川を渡り始めます。この川渡りは戦闘行為ではなく宗教行為です。ですから契約の箱が先立つのです。契約の箱の中には十戒を刻んだ2枚の石の板が収められて神の臨在を表すものです。この時のヨルダン川は、3章15節に「春の刈り入れの時期で、ヨルダン川の水は堤を越えんばかりに満ちていた」と記されています。今日のヨルダン川はたいへんやせ細っています。ガリラヤ湖から大量の取水をしてしまった後の惨めな形ばかりのヨルダン川です。ところが、この時代はとうとうたる水の流れで川幅も広く水かさも高かった。ヨルダン川が背後にあるからエリコの街は安心しておれたのです。

 ところが契約の箱を担ぐ祭司の足が「水際に浸ると、川上から流れてくる水は、はるか遠くのツァレタンの隣町アダムで壁のように立った。…民はエリコに向かって渡ることができた。…全イスラエルは干上がった川床を渡り、民はすべてヨルダン川を渡り終わった」のです。神が約束した乳と蜜の流れる地への移動は神の奇跡として行われた。この出来事は神の恵みの出来事であり、また同時に信仰の服従の出来事でもあったのです。

 この神の恵みの出来事を受け止めた時、ヨシュアはどうしたか。この出来事を記念させたのです。民がすべてヨルダン川を渡り終わった時、主なる神ご自身がヨシュアに言われます。「民の中から部族ごとに一人ずつ、計十二人を選び出し、彼らに命じて、ヨルダン川の真ん中の、祭司たちが足を置いた場所から、石を十二個拾わせ、それを携えて行き、今夜野営する場所に据えさせなさい」と。記念することはヨシュアの発案ではなく神がお命じになったことです。ヨシュアは神が命じたように12部族を代表する12人を選んで、川の真ん中で祭司たちが足をとどめた場所の石12を取ってこさせてギルガルという宿営の場所で石塚にしたのです。

 なぜ、こんなことをするのか。ヨシュアは説明します。子供たち、子孫のため、後の世代のためだというのです。今、実際に神の恵みを味わったあなたたちのためではない。この出来事を直接的に体験しない子孫たちのためであるということです。将来、こんな場所に、こんな石塚があるのはどういうことかと、子供たちが尋ねる時にこう答えるのだ。いや例え子供たちが問わなくても、あなたたちは子供たちにこう教えるのだ、そのためのしるしなのだというのです。歴史の事実は、どんなに偉大なものでも風化していきます。風化していってもいい歴史もあります。しかし、消し去ってはならない歴史があります。イスラエルにとり、それは出エジプトの出来事であり、このヨルダン川を渡ったという神の恵みの出来事です。この出来事こそ、決して忘れられてはならない。子々孫々にまで語り伝えて行くべき伝承なのです。実は聖書の内容はこのような伝承が幾つも積み重ねられ集められてまとめられたものだと言うことが出来るのです。

 クリスマスやイースターという全世界のキリスト教会共通の記念の時を持ちます。同時に、私たちの教会は私たちの教会としての独自の記念の時を持つのです。伝道開始の時であり、教会設立の時です。これらの時を記念して回顧し、その恵みの出来事を次世代に語り伝えていくのです。教会はこのようにしてその記憶を伝えていく。教会は神の恵みの出来事を、親から子へ、子から孫へと伝えていくことによって成り立つのです。これが福音の伝達であり、教会の歴史となるのです。先輩たちからの教会を建てる労苦を受け継ぎ、受け渡していきたいと願っております。