3月17日礼拝説教 「安息日の目的」

                  2013年3月17日

聖書=ルカ福音書6章6-11節

安息日の目的

 

 「また、ほかの安息日に、イエスは会堂に入って教えておられた」と記します。会堂の中での出来事です。主イエスは会堂で教えておられました。「そこに一人の人がいて、その右手が萎えていた」と記されている。会堂は私たちの教会堂のように長方形の部屋です。小さな会堂では男女が左右に分かれて座ります。ベンチはありません。イスラム教の礼拝堂のように何もないがらんどうです。一人ひとり持参した敷物を敷いて床にペタンと座ります。真ん中に男女を分ける大きな通路が出来ます。

 その隅の方に人に隠れるようにして右手の萎えた人がいた。会堂内には律法学者とファリサイ派の人もいます。彼らはイエスがこの男に気付いたら、どう取り扱うかと息をひそめてうかがっていた。「訴える口実を見つけようとして、イエスが安息日に病気をいやされるかどうか、注目していた」のです。嫌な雰囲気です。今日の教会でも聴衆の中に説教者の言葉尻を捉えようとする人がいる場合があります。牧師の一言一言を記録にとっておいて、「先生はこんな事を語った。先生の思想はこうではないですか」と後で追求する教会があるとのことです。こんな雰囲気の中では、福音を力強く大胆に語ることなどは出来なくなります。

 教会の伝説ですが、この右手の萎えた人は左官屋のような仕事をしていたと言われている。煉瓦を積んだり、石を組んだり、壁を塗ったり、という仕事です。そのため手に怪我をしてしまった。利き腕ですから生活にも支障が出る、仕事も出来なくなった。この人は劣等感を持ちながらうつろな思いで人に隠れるようにしていた。冷たい視線を感じて礼拝に出席しても喜びはなく人生を恨んでいた。

 主イエスはファリサイ派の人たちの企てを見抜いていた。それに対して正面から受け止められた。ここで今、問題になっていることは、右手が萎えているのを安息日に治すか、治さないかということだけです。ファリサイ派の人たちも安息日に命にかかわることまで絶対にしてはならないとは主張しませんでした。人や羊が井戸に落ちてしまったような時には、安息日であっても井戸から引き上げて助けてやることは認めていた。しかし、命にかかわらない病気は安息日に治してはならないというのがファリサイ派の理解でした。主イエスが事を荒立てようとしなければ、彼に「日が暮れて、安息日が終わってから、もう一度わたしのところに来なさい」と言って済むことです。それで主イエスには愛がないなどとは言われません。しかし、主イエスは罠にはまるようにあえて戦いを挑んだ。

 「イエスは彼らの考えを見抜いて、手の萎えた人に、『立って、真ん中に出なさい』と言われた」。人々の視線は主イエスとこの男とに集中した。主イエスはファリサイ派の人々に尋ねます。「あなたたちに尋ねたい。安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか」と。この出来事は麦畑でたまたま起こった出来事ではない。主イエスは、律法で許されているかどうか、法にかなっているかどうかと最も基本的なことを尋ねている。神が安息日を定めたのは何のためか。人が人として祝福されて生きるためです。神に造られた人として神の恵みを賛美し、命の恵みを喜び、神にある自由を喜ぶためです。出来るときに善をすることを差し控えるのは悪でしかない。

 主イエスは会堂の真ん中に立つこの人に「手を伸ばしなさい」と言われた。長い間手の動かなくなっていた人にとって、手を伸ばすことは不安があった。手術をした手足を初めて動かす時、不安と恐れがつきまとう。しかし、主イエスははっきりと「手を伸ばしなさい」と言われます。これは信仰と服従を求める言葉と言ってよい。彼が言われたようにすると、右手は元どおりになった。彼が手を伸ばしたことは、イエス・キリストを信じ従うことであった。右手を伸ばしてみることは彼の信仰の告白であった。その時に、救いの御業がなされたのです。「手を伸ばしなさい」とは、神を信じなさい、神に従いなさい、神を信じて生きなさいということです。うつろな思いで毎日を虚しく過ごしている人が、み言葉によって神を喜ぶ人生に変わったのです。

 このような出来事は主イエスの時代だけのことではありません。日曜学校は英国のロバート・レイクスという人によって始められました。時は18世紀前半の英国です。当時は産業革命のまっただ中です。貧しい下層階級の子どもは学校に行けなかった。月曜日から土曜日まで目一杯家の手伝いをするか、労働者として大人に混じって労働するかです。名前も書けない子がたくさんいた。レイクスはこの悲惨な実情を見て、何とか彼ら子どもに知識を得させたいと願って、牧師の許可を得て教会の空いている部屋で日曜日に6歳から12,3歳の子どもを集めて教育を始めたのです。聖書の勉強だけではなく、国語や算数の授業をした。日曜日の朝から夕刻まで、みっちりと聖書と一般の教育をした。これが日曜学校の出発です。

 ところがすぐに教会の役員たちや周囲の教会から猛烈な抗議が出た。安息日に教育をしてはならない。安息日の掟に反すると。日曜日は丸一日徹底的に休まなければならない。なぜ他の一般教科まで教えるのか、と言ってレイクスのしていることを攻撃したのです。貧しくて学校に通うことが出来ない子どもたちに対する同情のひとかけらもなかった。今日の教会の人たちは、日曜学校がこのような戦いの中から産み出されてきたのだということを覚えていただきたいと願っています。この右手の萎えた男のいやしは、このような教会の信仰的戦いのしるしなのです。