7月1日礼拝説教 「神は憐れみを忘れず」

               2012年7月1日

聖書=ルカ福音書1章46-56節                          

神は憐れみを忘れず

 

 この個所は「マリアの賛歌」と言われます。キリスト教会の最初から歌い継がれてきた賛美歌の中の賛美歌です。マリアの賛歌は、第1に賛美の本質を教えてくれます。賛美歌は何のために歌うのでしょう。

 「わたしの魂は主をあがめ」と歌いだされます。これが賛美の基本です。神をあがめることが賛美の基本です。「あがめる」と訳されたギリシャ語は「メガルーノー」です。意味は「大きくする」「増大させる」です。英語で「メガ」という言葉があります。その語源です。神をあがめるとは、神を大きくするということです。神の大きさ、神のすばらしさ、神が神であること、全世界の造り主であること、神の完全な支配を歌うことです。

 私たちの中では神はまことに小さい。神が占める領域が小さくなっているのではないでしょうか。会話の中で、神について話すことは本当に乏しい。日常生活の中で神を意識することがどれほどあるでしょう。反対に自分が大きいのです。自分の関心、自分の利益、自分の能力が大きな領域を占めている。自分が大きいところで傲慢になり、劣等感に陥ったりする。

 神を大きくする、神をあがめるところで、人は自由になれるのです。神こそ大いなる方と賛美するところで、人は本当の自分の姿を取り戻すことが出来る。ここに信仰者の人生の出発点があるのです。礼拝の初めの部分で、なぜ礼拝賛美の歌が歌われるか考えたことがあるでしょうか。礼拝の最初で歌われる歌は神賛美の歌なのです。つまり、神があがめられるように、神がたたえられるようにという賛美です。それは神を神とすること、神が大きなお方とされますようにという歌です。神が大きな方、永遠・無限の神とされるところで、本当の自分の姿を取り戻して、神を礼拝する人間となることができるのです。

 マリアの賛歌は革命の歌だと言われます。革命とは天地がひっくり返るようなことです。上にあったものが引きずり降ろされ、下のものが上になる「下克上」です。思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げてくださる。そういう時が来る。マリアの賛歌は権力を持つ者や富を持つ者に対するさばきの歌です。しかし、これは決して人間世界の革命のことではない。この地上世界では、権力の座に着いている者たちが何かでひっくり返されても、また同じような権力が登場します。今、人から見下されている。いつか見ていろ。お前たちをやっつけてやるというのがこの世の革命です。この種の革命は必ず失望します。人間世界の政権交代や革命は必ず失望が待っています。

 マリアが語るのはもっと根本的な神の革命です。「身分の低い者を高く上げ」と歌われます。口語訳では「卑しい者を引き上げ」と訳ました。この言葉の意味は、「神以外に頼るべきものを持たない人」のことです。何の力を持たない者です。頼るもののない本当に貧しい者ということです。そのような人を神は引き上げてくださると言うことです。ここで語られているのはこの世の革命ではなく、神が大いなる方として御支配なさる時が来るということです。人を押さえつけるような権力者を根こそぎ覆してしまう神の支配の時が来たと歌うのです。

 神のご支配とはどういうものでしょう。イエス・キリストの支配です。キリストの支配はたいへん不思議な支配です。弟子たちが主イエスにお願いしました。「栄光をお受けになる時、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください」と。すると主は「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(マルコ10:42-45)と言われました。

 キリストの支配とは、権力を振るうことではなく人に仕えることでした。具体的には、人々の罪を担って十字架を担うという仕方で仕えることでした。神の支配とは私たちが神の恵みに生きるようになることです。まことに無に等しい、何の値打ちもない私たち、神に背いておごり高ぶってきた私たちが、赦されて、神に生きる者となることです。これを恵みの支配と言います。神の愛と恵みが支配するのです。

 この恵みの支配は神の憐れみの結果だと、マリアは歌います。「その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに」。神の忘れない「憐れみ」とは約束のことです。神がイスラエルの先祖に約束されたことを忘れないと言うことです。創世記17章7-8節を読みます。ここには神がアブラハムに与えた約束が記されています。この中心は「わたしは、あなたとあなたの子孫の神となる」ということです。神が「わたしはあなたの神となる」とは、あなたを救うということです。あなたの命を守り、あなたを神と共に永遠に生きる者としてくださるということです。それが「あなたの神となる」ということです。

 これが神の憐れみです。アブラハムに約束されていた神の憐れみの約束が、マリアから生まれる子の誕生によって実現するのです。時間が経っても、神は一度約束されたことをお忘れになりません。私たちの救いは、神の契約に対する真実にかかっているのです。そしてマリアは、神がこの約束をキリストにおいて今、実現して下さると受け止めたのです。